私は、ある福祉大学に入りました。
同じ年の方、特別支援学校(もちろん当時は、養護学校)を卒業した方がいました。肢体不自由の特別支援学校です。授業中は同じクラスの学生さんが、「ノートテイク」をしていました。また、テープ録音もしていました。私と同じサークルには弱視の方がいました。ひとつ上の学年には聴覚障害の方がいました。授業中、手話通訳している方がいました。
また、CP(脳性麻痺)の方もいました。
私は、実習、ボランティア等でCP(脳性麻痺)の方と接触する機会がありました。
漠然とCP(脳性麻痺)が生まれるのでは。。。。と思っていました。別に理由は、ありません。ただ漠然と。。です。
だから「泣かない」お母さんだったのです。
そして救急搬送された病院🏥に面会に行っても、特に泣きませんでした。
東京の病院🏥に行く事になり、いろんな事をしなくてはならない為、忙しい事だらけで長男の病気を深く深く考える事は、ありませんでした。
「泣かない」と言ってももちろん
少しは泣きました。号泣😭😭😭💦する事はありませんでした。