なんてことのない毎日。
そんな中にもこっそり覗く小さな特別たちがいる。
日記なんて今まで一度も続いたことなんてないけれど、僕の思ったこと、感じたことを、誰かに見てもらうと言うよりは『残す』という感覚で、このブログを始めようと思う。
今日から元号が変わって、天皇さんも新しくなって。18年あまりの僕の平成の人生は終わって、令和がやって来た。
正直言って、なんでそんなにドンチャンするのかわからない。本来なら、元号の変わりは今上天皇が崩御なさって喪に服しながらの荘厳なもののはずなのに、イレギュラーな譲位のせいなのか、
なんだかこの元号がひどく軽いものに思えて仕方がない。
街は「新元号 令和」の文字で溢れ、令和グッズが売られ、菅さんは令和おじさんと呼ばれ。素晴らしい元号だという人もいれば、ひどいネーミングだという人もいれば、「アベという字が隠れている、忖度だ!」とか言う人もいる。
冷静になって考えてみろ。よくよく考えれば、その実日本人の大半は新元号なんてどうでも良いはずだ。一体何がそんなに人々を駆り立てているのか。元号が変わることの何がそんなに嬉しいのか。
現代社会は変化に飢えている。毎日毎日同じことを繰り返して、休日になってもただダラダラして、そんな人生のマンネリ化に現代人は陥っている。
そんな中の「元号改正」というのは、退屈な日々の「変化」への糸口なのかもしれない、そう思うのだ。元号が変われば自分も何か変われるかもしれない。社会がもっと生きやすくなるかもしれない。そんな希望を、「令和」という元号はその肩に背負っている。
たかが元号が変わるだけ。ただそれだけの話だ。しかし、それは想像以上に、社会への変化をもたらすものなのだろう。
かく言う僕も、令和の目標なんてものを掲げたりなんかしている。それについてはまた、おいおい話すとしよう。
ゴールデンウィークはもう半ばに差し掛かろうとしている。できることを精一杯やり遂げたい、なんて思ったりしてみる。
今日のところはこの辺で。memento moriでした。
そんな中にもこっそり覗く小さな特別たちがいる。
日記なんて今まで一度も続いたことなんてないけれど、僕の思ったこと、感じたことを、誰かに見てもらうと言うよりは『残す』という感覚で、このブログを始めようと思う。
今日から元号が変わって、天皇さんも新しくなって。18年あまりの僕の平成の人生は終わって、令和がやって来た。
正直言って、なんでそんなにドンチャンするのかわからない。本来なら、元号の変わりは今上天皇が崩御なさって喪に服しながらの荘厳なもののはずなのに、イレギュラーな譲位のせいなのか、
なんだかこの元号がひどく軽いものに思えて仕方がない。
街は「新元号 令和」の文字で溢れ、令和グッズが売られ、菅さんは令和おじさんと呼ばれ。素晴らしい元号だという人もいれば、ひどいネーミングだという人もいれば、「アベという字が隠れている、忖度だ!」とか言う人もいる。
冷静になって考えてみろ。よくよく考えれば、その実日本人の大半は新元号なんてどうでも良いはずだ。一体何がそんなに人々を駆り立てているのか。元号が変わることの何がそんなに嬉しいのか。
現代社会は変化に飢えている。毎日毎日同じことを繰り返して、休日になってもただダラダラして、そんな人生のマンネリ化に現代人は陥っている。
そんな中の「元号改正」というのは、退屈な日々の「変化」への糸口なのかもしれない、そう思うのだ。元号が変われば自分も何か変われるかもしれない。社会がもっと生きやすくなるかもしれない。そんな希望を、「令和」という元号はその肩に背負っている。
たかが元号が変わるだけ。ただそれだけの話だ。しかし、それは想像以上に、社会への変化をもたらすものなのだろう。
かく言う僕も、令和の目標なんてものを掲げたりなんかしている。それについてはまた、おいおい話すとしよう。
ゴールデンウィークはもう半ばに差し掛かろうとしている。できることを精一杯やり遂げたい、なんて思ったりしてみる。
今日のところはこの辺で。memento moriでした。