ブログ再開。自分を生きること
すごく久しぶりのブログです。いろいろ、さまざまあった、この3年半。もう、消えてしまいたいとも、絶望感しかなかった日も、孤独感しかなかった日も、どれだけ泣いても、枯れることのない涙。感情が伴わない、色彩感。友人をはじめ、支えて下さった方々のおかげで今います。生きています。映画「ボヘミアンラプソディー」3回観ました。クイーンのファンでもなく、曲は耳にしたことある程度の私。ですが‼︎映画のあまりの衝撃に、「やられました」→これが一番ぴったりの感想です。そして、上映終了後しばらくたってから涙がわいてきました。その後は、「どうしよう…」の嵐。これから、どうしよう、どうしよう、どうしよう…と、動けなくなりました。もちろん、観た方それぞれに違う響きだと思いますが、一緒に観た友人も「どうしよう感」でいっぱいでした。ストーリー、音楽、俳優さん…もちろん全て素晴らしいです。でも、何か、今までにはない不思議な映画です。日頃感じる感覚や感情のゾーンを突き抜けて、深く、響いてくる。魂にぴりぴりと。ずっと隠してきた「何か」が刺激される。そして、3回観た時、じわりと感じたこと…「解放」クイーンの曲は、解放へのゴングであり、鐘の音。フレディー・マーキュリーの熱量は、「自分を生きること」「自分で在ること」を響かせている。なぜ今、クイーンなのか、ボヘミアンラプソディーなのか、フレディーなのか…時代が、その時をむかえたから。その時が来たから。目覚め、覚醒、解放愛。性別、年齢、大人、子供、人種、仕事、容姿、趣味嗜好…区別、判別、するものを超越して。ただ、ただ、自分で在ること。「俺が何者かは、俺が決める」→劇中のセリフ。目覚めよ、眠れる獅子よ。