天羽 ~ Amane ~ のブログ

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不定期更新予定☆
 人ハ幸運ナラザレバ
 非常ノ立身ハ至難ト知ルベシ
 運ハ即チ天祐ナリ
 天祐ハ常ニ道ヲ正シテ待ツベシ

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 猿でも迷子になった子供を見つけたら、駆け寄って抱きしめて、もう二度と目をはなさないぞと心に誓うだろう。

 

 自分もその当時はしていたであろう事を棚に上げ、男言葉を使って辺りも憚らず、大声で子供を罵り怒鳴り散らす母親…

 

私たちは人間です。

 

猿よりも知恵が上だと自負しています。

 

だから、子供を見つけたら、ギュッと抱きしめて、

「泣いちゃうぐらい怖かったね。 

 広いところだと迷子になるから、お母さんのそばを離れないで欲しいな。

 もし行きたいところがあったら必ずお母さんに教えて?

 お母さんも泣きたくなるくらい心配してたんだよ。

 約束してくれるかな?」

 

これで子供はちゃんとわかってくれます。

 

子供は自分たちが思っているよりとてもとても賢いです。

 

この世に生まれてきたひとつの命です。

 

その瞬間から上も下も無いはずです。

 

見下げるのではなく、対等に話し合えませんかね?

七夕(たなばた)ですね。

そもそもこの七夕という行事。

古く日本では、機織りの上達を祈願する祭りとして行われていたものでしたが、のちに支那から渡来した昔話が習合して現在の様式になったようです。

 

だから七夕と書いて機織(たなばた)と読みます。

 

日本古来の暦習慣として、陽の数字が重なる時は、その力が強くなり過ぎる為に、暦行事を行い禍を祓っていました。

 

(1月1日:元旦)

1月7日:人日の節句

3月3日:上巳の節句

5月5日:端午の節句

7月7日:七夕の節句

9月9日:重陽の節句

 

今の日本人はほとんどこの様な意味がある事など知らないですよね。

 

さて、古事記には伊弉諾によって根の堅す国(黄泉)へ追放される事となった素戔嗚尊が、高天ヶ原に居る天照大御神に別れの挨拶をする為に訪れた話が書かれています。

 

そこでスサノオは乱暴な振る舞いをし、機織りをしているアマテラスの機織小屋の屋根から皮を剥いだ馬を放り入れるという逸話が書かれており、この記述からわかる事ですが、天照大御神は機織りの神様としても信仰されていたことが分かります。

 

一方の素戔嗚尊は全ての災いをもたらす疫病神(武塔天神)として「巨旦将来と蘇民将来」の祭祀起源譚に登場しており、また武塔天神は祇園精舎を守る守護神である牛頭天王と習合(同一視)されています。

 

…と、いうところまでお話しさせてもらいましたが、何が言いたいのかお分かりになりましたでしょうか?

 

父である天帝によって仲を引き裂かれ会う事叶わなくなった織姫と彦星(牽牛)。

父であるイザナギによって黄泉に追放され会う事叶わなくなったアマテラスとスサノオ。

 

話がそっくりですよね。

ですから、日本において、この説話に出てくる織姫と彦星は、天照大御神と素戔嗚尊の事を書いていると解釈する説もあるんです。

 

では、なぜタイトルに『織姫と彦星は会えない方がいい』と書いたのか?それは…

 

初項に書いた話に戻りますが、古事記には、高天原に上った素戔嗚が、その身の潔白を証明するため、天照大御神と『天の安河』をはさんで「誓約(うけい)」を行い5男3女をもうけるという逸話が載っているんですね。

はい、二人の間に八神の御子神が誕生しているんです。

 

すなわち、古来の日本では、牛頭天王は疫病神。その疫病神が天の川を渡り、織姫との逢瀬が叶えば、八柱の御子が誕生する=この世に疫病が蔓延すると考えられたわけですね。

 

今年は閏5月がありますから、現在は旧5月14日です。

 

旧暦でいう『本来の七夕』はまだまだ先ですが、さて、雨が降って二人は会えなくなるのか、それとも今年は河を渡るのか…

 

5月10日〜14日頃は七十二候「蚯蚓出(みみずいずる)」。

カエルや虫よりちょっと遅めにミミズが土から這い出してくる時季です。

魚や鳥など多くの生きものに美味しく食べられているミミズは、世界各国で古くから釣りに愛用されているように、あらゆる生物のエサとなっています。

なぜミミズが生物界においてそれほど人気なのかというと、ミミズの体のおよそ50~70%が、動物の重要な栄養源であるたんぱく質でできているから!
モグラなどは、1日に自分の体重と同じくらいの重さのミミズを食べるそうです。

 

ではそのミミズは何を食べているのかと言えば「土」です。

正確には、土ごと微生物などを飲み込んで、栄養を吸収してから、また土ごと排出しています。
体内で耕されたように柔らかくなった土は、植物にとって嬉しいご馳走。ということで植物たちもまたミミズに育てられているといっても過言ではありません。
おまけに、ミミズは死ぬと自分の体をどろどろに分解して、他の土の中の生きものや微生物のエサとなります。

つまりミミズは、地球上のほとんどの生きものに食べられている存在と言えるでしょうね。

そんなに良いなら人間にとっても栄養食になるのではないかと考えて調べてみると、このミミズ、タンパク質だけではなく、ミネラル、コラーゲン、ビタミンなどの栄養価も高く、世界各地で食材として使用されているそうです。

ニュージーランドの原住民の中には、ミミズをシチューのように料理して食べる人たちもいるそうです。
それから乾燥させたミミズは漢方で「地竜」と呼ばれ、昔から解熱剤などとして日本でも使用されています。


ちなみにミミズは生物学的には虫ではなく「環形動物」に分類され、見た目はただのヒモのようですが、よく見ると輪っかがつながったような体の仕組みをもっています。

ミミズの名前の語源は「目見ず」といわれていて、目はなく、体の前後に光を感じる細胞があり、それが目の代わりを担っています。それどころか鼻も耳もありません。

さらに土の中で生きやすく進化した為、骨もなく体全体を自由に曲げられます。

呼吸するための肺もエラもなく、表面の皮膚から酸素を直接とりこんで炭酸ガスを出します。

ミミズには、土の中のわずかな酸素で生きられる特別な血液が流れているそうでミミズってスゴい…

そんなミミズさんは4億年以上も前の地層から化石がみつかっているそうです。
ミミズは それまで海の中にしかいなかった生物が陸上に進出しはじめた最初の生物のひとつと考えられています。

一緒に打ち上げられた海藻の中に潜り込んで、当時の強烈な日光や乾きを避けながら進化してがんばって生き延び、長い時間をかけて土を作ったと言われています。

しかしながら現在、農薬などが原因で微生物がいなくなりミミズが生きていけない土が増えています。

さらに、重金属や薬剤に汚染された土壌に暮らすミミズの体には、汚染物質がどんどん濃縮されてたまっていき、それを食べる生きものたちへ影響していきます。
 

18世紀頃のイギリスの学者でギルバート・ホワイトという人は「ミミズというのは、自然界の連鎖において、ちっぽけで取るに足らない存在のように見える。しかしいなくなってしまったら、その重要性を思いしらされるだろう」と記しています。

改めて今日は「蚯蚓出」。

土を耕し動植物の生態系に寄与する大切な存在『ミミズ』を思い、人はその生態系の恩恵に与りながら生きてるんだという事を認識し、自然を大切にしていく事の重要性をしっかりと考えていきたいと思いました。

 

 戦後、日本においては自虐史観と腑抜け化の押し付け教育によって「愚民化」が進み、日本民族の長所は今や悉く失われてしまいました。

 

 だからこそすでに明らかな史実を捻じ曲げて伝えられても、それを疑いもせず考えもせず受け入れてしまいます。

 

 例えば、イザベラ・バードが「朝鮮紀行」という体験記を残しています。

 彼女が半島を訪問したのは、李氏朝鮮末期の時代、世界史的には近代にあたる時代ですが、当時の半島の様子を彼女はこう書いています。

 ****

・朝鮮人には猜疑、狡猾、嘘を言う癖などの東洋的な悪徳が見られ、人間同士の信頼は薄い。
 女性は隔離され、ひどく劣悪な地位に置かれている。

・政府、法律、教育、礼儀作法、社会関係そして道徳における中国の影響には卓越したものがある。
 これら全ての面で朝鮮は、強力な隣人の弱々しい反映に過ぎない。

・私は北京を見るまではソウルを地球上でもっとも不潔な都市、また紹興(中国浙江省北部の県)の悪臭に出会うまではもっとも悪臭のひどい都市と考えていた。
 大都市、首都にしては、そのみすぼらしさは名状できない程ひどいものである。

・礼儀作法のために、二階家の建造が禁じられている。
 その結果、25万人と見積もられている人びとが“地べた、主として迷路のような路地で暮らしている。
 その路地の多くは、荷を積んだ二頭の雄牛が通れないほど狭い。
 実にやっと人ひとりが、荷を積んだ雄牛一頭を通せる広さしか無い。
 さらに立ち並んでいるひどくむさくるしい家々や、その家が出す「固体や液状の廃物」を受け入れる緑色のぬるぬるしたドブと、そしてその汚れた臭い縁によって一層狭められている。

・ソウルには美術の対象になるものが何も無く、古代の遺物ははなはだ少ない。
 公衆用の庭園も無く行幸の稀有な一件を除けば見せものも無い。
 劇場も無い。
 ソウルは他国の都市が持っている魅力をまるで欠いている。
 ソウルには古い時代の廃墟も無く、図書館も無く、文学も無い。
 しまいには、他には見出せないほどの宗教に対する無関心から、ソウルは寺院無しの状態で放置されている。
 一方、未だに支配力を維持しているある種の迷信のために、ソウルには墓がないままにされている。

・ミラー氏と召し使いが綱を強く引っ張っている時、私はしょっちゅう川岸沿いに独りぼっちで、2時間か3時間ぶらついていた。
 その小道が淋しい所か、または村に通じていようがいまいが、私は、ひどく躾の悪い遣り方で示された好奇心以上の不愉快なものには、一度も出会わなかった。
 そしてそれは、主として女性によるものであった。

・その肩に税の重荷が掛かっている人びと、つまり特権を持たない厖大な大衆が、両班にひどく苦しめられているのは、疑いない事である。
 両班は代金を支払わないで人びとを酷使して労働させるばかりでなくさらに貸し付け金の名目で、無慈悲に強制取り立てを行なっている。
 ある商人か農夫がある程度の金額を蓄えたと噂されるか知られると、両班または役人が貸し付け金を要求する。

・女の人たちと子供たちは山のようになって、私の寝台の上に坐った。
 私の衣服を調べた。
 ヘアピンを抜いた。
 髪を引き下ろした。
 スリッパを脱がした。
 自分たちと同じ肉や血なのかどうか見るために、私の着物の袖を肘まで引き上げて、私の腕を抓った。
 私の帽子を被ってみたり、手袋を嵌めてみたりしながら、私のわずかばかりの持ち物を詳しく調査した。

・長安寺から元山への内陸旅行の間、私は漢江の谷間でよりも朝鮮の農法を見る良い機会に恵まれた。
 日本のこの上なく見事な手際のよさと、中国の旺盛な勤勉に比べて、朝鮮の農業は無駄が多く、だらしない。

・朝鮮では、私は朝鮮人を人種の滓(カス)と考え、その状況を希望の持てないものと見做すようになっていた。

・私は出発する前に、無感動できたなくぽかんと口を開け、貧しさにどっぷり浸っている群集に包囲されて、宿屋の中庭のごみ、むさ苦しさ、がらくた、半端物の真ん中でじっとしていた。
 朝鮮人は見込みのない、無力で哀れな痛ましい、ある大きな勢力に属している単なる羽に過ぎないと感じた。

・もしある人が小金を貯めた、と伝えられると、役人がその貸与を要求する。
 仮にその要求を承諾すると、貸し手は往々にして元金または利息に二度と会えなくなる。
 もしその要求を拒絶すると、その人は逮捕され、「破滅させるために捏造された罪」で投獄される。
 そして要求された金額を差し出すまで、彼か親類の者が鞭打たれる。

・狭量、千篇一律、自惚れ、横柄、肉体労働を蔑む間違った自尊心、
 寛大な公共心や社会的信頼にとって有害な利己的個人主義、二千年来の慣習や伝統に対する奴隷的な行為と思考、狭い知的なものの見方、浅薄な道徳的感覚、女性を本質的に蔑む評価などが朝鮮教育制度の産物と思われる。

・朝鮮の大きくて普遍的な災難は、大勢の強壮な男たちが、少しましな暮らしをしている親類か友人に頼るか“たかり”に耽る習慣である。
 それを恥としないし、非難する世論も無い。
 少ないけれども一定の収入がある人は、多くの親類、妻の親類、大勢の友人、親類の友人たちを扶養しなくてはならない。

・1897年の明確に逆行する動きにも拘わらず、私はこの国の人びとの将来に希望が無いとは決して思わない。
 だが、次の二つの事が非常に重要である。
 1 朝鮮は、内部からの改革が不可能なので、外部から改革されねばならない事。
 2 君主の権力は、厳しくて永続的な憲法上の抑制の下に置かねばならない事。

 *******

 

 「兄の国」だの「地上の楽園」だのと喧伝された彼の地の実態はいくらでも、知ろうと思えば知ることができますよ?

 日本人はそろそろ目を覚ますべきです。手遅れになる前に。。。

 

こんなはずじゃなかったのに!と言ったり思ったりする、その人に問いたい。

 

あなたが思い描いていた結末を、誰かが保証してくれてたんですか?

あなたが思い描いていた結末を、誰かが確約してくれてたんですか?

 

自分が勝手に空想していた結論に到達できなかった事実を作り出したのは、現在まで幾多にもあった決断の分岐点で、自分自身の採ってきた選択が招いた結果であって、その責任のすべては自分自身にあるんだって事。

 

それに気づかないフリして…幸せですか?

現実逃避して、その先に何かありますか?

事実から目を背けた、その視線の先に何が見えますか?

 

何か別のもののせいにして責任転嫁する自分を、客観的に見て美しいと思いますか?輝いていると思いますか?

 

そんなあなたは今、生き生きとしてますか?