麻雀とか・・・ -3ページ目

意識の違い

麻雀に対する意識の違いは、

どのように影響するのだろうか


麻雀を「稼ぐ」ために打つ人と、「遊ぶ」ために打つ人には、

当然のように違いがあると思う。


各個人の勝ちパターンとして、

・自分を追い込まないと勝ちきれない人

・余裕がないと勝ちきれない人

の2通りが存在すると思う。


前者の場合は、常に負けたら終わりと言う危機感の下に自分をおくことによって、

勝負に集中するのである。

後者の場合は、何らかの壁を持つことによって、

前に出ることに集中するのである。


いずれが優れているのかはわからない。

何せ、これは個人の資質によるものなのであるから。

個人的には典型的な後者である。

まず第一に安全を追い求め、

それが満たされた上で次を目指すのである。

安全が満たされない場合は、

被害を最小限にすることを第一に考える。


イメージとしては太平洋戦争を思うといいかもしれない。

前者は日本軍であり、

(国民すべてを戦争肯定せざるを得ない状況にさせた)

後者はアメリカ軍である。

(豊富な物量と、自国への損害がないことを前提に戦争を起こす)

結果としては確かにアメリカ軍が勝利したが、

これは日本・アジア地域が主戦場になった結果であり、

同様の内容がアメリカ本土で発生していたらどうなっていたかわからない。


すなわち後者の弱点とは、

自分の安全が保障されなくなったときに収拾がつかないことであり、

前者の弱点は、

物量に耐え切れなくなったときに全滅することである。


恐怖感を与えることができる打ち手は間違いなく前者である。

しかし、撤退の選択肢を持つことができるのは間違いなく後者である。

いずれが自分に当てはまるのかを認識し、

それが持つ特性を十分に活用することが結果を残す上で重要なことである。

遊び派と稼ぎ派は、いずれの方向からも出現する可能性はある。








名人戦

森内が勝った。


と言っても、今回は見に行ってはいない。

速報を見ただけである。


名人戦は新聞社の意向もあり、

地方対局が多い。

(銀波荘あたりが一番近い)

会館の大判解説会もあるが、

風邪を引いていていけなかった。


名人戦の3連覇は、確か谷川も達成していないはずである。

(2-2-1の5期だった記憶がある)

また、もしも森内がここで防衛し、来期羽生が挑戦すると、

来期は18世名人決定戦となる。


それでもなぜか今期の名人戦は谷川が勝つような気がする。

はっきり行って理由はない。

希望に関しては確かにある。

谷川の17世は羽生を下しての17世なのであるから、

羽生の18世は谷川を下しての18世であってほしい。

と言う希望だ。


とにかく、のびれば6月いっぱいまでかかる名人戦。

最低4-2程度までにななってほしいと願っている。











アナログ

アナログ派について考えてみる。


前局と今局については関連性があると言うものが基本的概念であるが、

それはどのように判断すればいいのであろうか?


プロ野球などでよく言われる、

「ピンチの後にチャンスあり」

と言う考え方がアナログ派の根底にある考え方の1つなのであろう。

しかしこの思考の大本にあるものは、

「実力差の均衡」

であることを理解している人がどれくらいいるのであろうか?

(簡単な例を出せば、プロ野球チームとリトルリーグでは、リトルリーグ側には基本的にピンチをしのいでもチャンスは来ない)


麻雀は基本的に数値による実力差を出すことはできない。

(絶対的な指針がない)

だから、イメージによって実力差を感じさせることが大切なのだ。


ところがイメージとは不思議なもので、

長期的なイメージとごく短期的なイメージは残るが、

中期的イメージと言うものはなかなか残りにくい。

そのため、前々局の結果あたりのイメージと言うものは、

ほとんどの人が残らないものなのだ。

(前々局の相手の捨て牌どころか、和了形を覚えていない人は結構いる)


だから、アナログ効果は対自分に対してのみのものとして多くの人が考えている。

そのため、自分が前にこうやったからこの局はこうなるはずだと言うレベルのアナログ思考になってしまうのだ。


アナログ思考の根本は、

相手に対してミスをしたかどうかなのであるから、

常に相手を考え、

最低限、そのゲームにおける相手の和了形

(その進行が成功の上の結果なのか、偶然の結果なのか)

を記憶するくらいは必要なのではないだろうか?







デジタル

デジタルについて考えてみる。


初めて紙上に出たデジタル的思考者とは、

「天野春夫」

であろう。当時の志向には結構感銘を受けた。

尤も「リーチ麻雀改革派」で引用した文章については、

いささか極端な例を抜きすぎであると思うが。


以降、デジタル派が徐々に出現し、やがてひとつの勢力となった。

この根底にあるのは、

「祝儀の発生・比率の上昇による棒テンリーチの地位の向上」

「赤牌のスタンダード化による平均得点の上昇」

にあるであろう。


祝儀の地位の向上と手役の地位の低下によって、

和了の価値が得点から回数へと移行した。

そのため、回数を獲得するための手段としてのデジタル思考が採用されるようになったのである。


また、テンゴフリーやネットの繁茂は、

「同一面子による長時間のゲーム」

と言う概念をなくし、

「1ゲーム単位」

を強調した。

そのため、基本的に緩やかなものだと捕らえられているゲームの流れが、

意味を持たないものとなってしまったのだ。


そういう意味においては、今の麻雀の基本的思考は

「1局清算」

の積み重ねであり、その局における最善のみが価値を持つものなのであろう。


デジタル思考とは結局、現代のルールに即した考え方であるため、

現在の状況下においては有効なルールなのであろう。

(20年以上ルールに変更のないプロ連盟のAルールでデジタル派が上位に目立っていないこともこれが理由だと思う)


問題は、デジタル派は否定結果・未確定結果を説明できないところにある。

・そうなったのはあくまで結果に過ぎない

・何を引くかなんてわからない

・誰が引いても同じ

誰かこれらを説明してくれないだろうか







祝儀バランス

祝儀の対象は、現在の麻雀に則したものにしようとするとどうすればいいのだろう。


点数と祝儀は、それぞれが独立している。

点数に関しては、形(見た目)重視で昔に制定されたために、

今の形態となっているが、

祝儀に関しては結構適当な条件でつけているのではないか。


根本的に疑問があるのが、

「振っても引かれても支払い者は同額払う」

と言う点である。


祝儀の発生は、役満祝儀に起因している。

めったにないことであるからみんなで祝おうと言う考え方から発生したのだ。

そしてその役満祝儀は通常、振込みとツモで支払い者の支払額は異なる。


と言うことは、他の祝儀もそれに合わせるべきではないだろうか。

簡単にいえば、

「振り込みよる祝儀は、ツモによって払う祝儀の倍額払う」

ということだ。

これでとりあえず、振込み側のリスクとしては適当なものになるとは思う。


また、祝儀の対象についても疑問がある。

前述のように、祝儀の根底に存在していたものは、

「めったにないことを祝う」

と言うものなのであるから、赤に関して祝うのはどうかと思っている。

寧ろ、めったにない手役について与えたほうがいいのではないかと思う。

そうすれば、

・赤→スピードのための手段

・手役→祝儀のための手段

と、双方に価値が出るのではないか。


ちなみに、祝儀の対象として考えるものは、

・リンシャン

・三色同刻

・メンホン

・リャンペーコー

・サンカンツ

・ホンロー

・メンチン

・ジュンチャン

あたりであろうか。










リーチ

点数上昇のためのリーチと言う考えは正しいのであろうか。


リーチと言う手役がある。

作られた当時は、純粋な1ハン役であった。

ところが今ではこれを純粋な1ハン役と考える人はほとんどいない。

(悪い意味でなく、特定のプロ団体くらいであろう)


現在の麻雀におけるリーチの意味とは、

・祝儀獲得手段

が最大の目的と言えるのではないだろうか。

それによって得点を上げるとの考えは、

もはや二義的なものとしていいと思う。


結局は祝儀至上主義となる現在の麻雀形態がリーチの価値を高めたと言うことなのである。

(赤で逆に手役の価値を下げているので、リーチはより価値が上がっている)

だから、棒テン即リーが有効手段となりえるようになったのである。


嘗てのリーチの本質は、

「出和了できない形を和了可能にするための役」

であった。

しかし、現在のリーチの本質は、

「一発・裏祝儀獲得のための必要条件」

「相手の打牌に制限を与え、ツモ和了で3者から祝儀を獲得」

となっている。


どちらが悪いと言っているのではない。

「勝つための手段が変わったために、目的が変わった」

と言っているだけだ。


リスク面を考えてみると、

「和了牌以外はすべてを切らないとならない」

は成立当初より発生しているリスクであるが、

祝儀に変動(振った場合と止めて引かれた場合)がない以上、

リスクは軽減されていると言ってもいいと思う。

(昔と比べ、切った際の被害が、切らなかった際の被害と比べて幅が小さくなった)


現在のリーチに関するリスクとは、

「リーチをかけたために、その後の手代わり・待ち変えに対応できない」

という、打ち手本位の部分にあると思う。

これは、逆に過去と比べて大きくなったリスクの部分だ。

(リーチによる和了の獲得値が過去と比べて大幅に上昇しているため)


現在のリーチの指針となるべきものは、

「それが和了を拾えるかどうか(ヤマにどれくらい残っているか)」

であり、出和了ができないからかけるということではない。

また、祝儀価値の上昇により

「相手の選択に制限を加える」

ことを目的としたリーチも十分に理由になると思う。





イーペーコー

イーペーコーは、大別して2種類あると思う。


イーペーコーには、

・作るイーペーコー

・できるイーペーコー

の2種類があると思う。


前者の代表的な方法は、タンピン系の手で567と持っているようなときに、

6を引いて手に残し、後に5・7を引いてくる場合だ。

つまり、イーペーコーの目を残して、それが成就するようなパターンである。


後者の代表的な方法は、配牌でできていると言う場合だ。

本人の意図なくイーペーコーが完成しているパターンである。


イーペーコーという手役は、役牌暗刻と並んで、

「ダマでがるときに最も見えにくい手役」

であると思う。

手牌の半分以下の部分手役であるために、

全体構成の自由度が高く、待ち取りもいろいろと可能なので、

想定外の受けをとることが可能となる。


また、ドラ絡みになるとある程度の点数をもてるので、

リーチの有無が打ち手の選択の範疇となる。

(点数を上げるリーチが絶対ではなくなる)


ほぐしやすい、変わりやすい事も特徴のひとつと言える。

ペン3のイーペーコーでも、他が伸びれば躊躇なく1・2ははずせるし。

カン6ならば、4・8引きですぐに変化できる。


そう考えると、イーペーコーとは、

最終(和了牌)で確定されるか、最初からできているか。

のときにリーチがなされる手役ということになる。


三色やイッツーなどのほかの部分手役の場合、

カンチャンやペンチャンでのリーチは存在する。

ところがイーペーコーの場合にはそれがなかなか存在しない。

(ドラ1の場合も、他者の捨て牌状況などがあって初めてリーチを選択するのではないか)


結局、イーペーコーというのは主戦手段と言うよりも、

「拾うための手役」を考えるべきなのではないかと思う



風邪を引いて

風邪を引いた。声を出すと喉が痛い。


それなのに、麻雀を打ってしまった。

発生するたびに喉が痛くなる。

そのため、なるべく発生を避ける手作りを行ってしまう。


1半荘で1副露。

なんてこともあった。

リーチの時には、

他者を手で制して、自動卓の音声で伝えた。

支払いに関してはお釣り分がなるべくでないような払いをした。

(清算と祝儀用に、とにかく500円玉をかき集めた)


それでも、「ツモ」と「ロン」だけは避けられない。

無言で牌を倒すわけには行かないので、

そこだけは何とか声を出す。

点数申告に関しても、あまり声を出したくなかったので、

手作りが基本的に満貫以上を目標にする。

(「マンセン」など、祝儀がらみの言い方が楽になることや、数字を長く言わなくていいので、結構楽)


体が弱っているときには、

こんな小さな発声レベルでも結構差が出ることに気がつく。

体調十分なときには決して気がつかないであろう。


もしかするとこのことは、体調面だけではなく、

メンタル面についても同様なのではないだろうか?

何の気なしに口から出る言葉が、聞き手によっては大きく聞こえてしまう。

かと言って何も言わないことも同様の影響を与えてしまう。

いずれがいいのかはわからないが、

最低限、その影響について考えることは必要だと思う




打ち方の違いの発生条件

打ち方が最も変わるルールの分岐点はどこであろう。


フリーにおいて、打ち方が変わる分岐点となるルールが必ず存在すると思う。

例えば、ウマの違い。

同じピンのレートでも、1-2と3-6ならば打ち方が変わる人は必ず存在する。

(勿論、100%の人が変わるとは思っていないが)

このような店ごとのルールの違いで最もルールが変わるものはどのようなルールなのだろう。


個人的に最も打ち方が変わるのは、

「赤祝儀の獲得手段」

における部分である。

すなわち、面前のみなのか副露OKなのかという違いの部分である。


基本的にフリーのルールは祝儀の引き合いとなる。

(1-3あたりまでであるが)

従って、如何にして最も効率のいい祝儀獲得を行うかがポイントとなる。

祝儀の対象は一般には、

・一発

・裏

・赤

・役満

であろう。この中で、赤祝儀だけが他と特徴が違う。


赤祝儀の最大の特徴は、

「和了時点で祝儀が確定する」

と言うことである。

(役満に関しては、出現率によって確定と言うメリットを殺していると考える)

そのため、赤のある手牌に関しては、

基本的には祝儀目標へと切り替えることが可能となる。


手牌を組む際に最も早い手段は、

・クイタン

・役牌

であろう。利用効率の高い牌(赤牌含む)を広い手段で使え、

使用できない牌に関しても、急所牌となるような牌ではない。


ところが、これらが最も早い手段と認識されているのは、

「鳴くこと」

が前提となっているからである。

逆に言えば、鳴くことがスピードの生命線となる手役なのである。

(カンチャン捌きや、役牌を3枚確定させる作業が遅くなるため)


以上の理由から、

鳴き祝儀の有無において打ち方が大きく変わってしまう。

祝儀拾いの手役が使えないのだから、

面前限定での直線的な手作りで拾いに行くしかないのである。

逆に言えば、一切鳴かない位の打ち方となる。


個人的には、祝儀なんて最初からないほうがありがたい。

赤と裏が人と比べて恵まれてないから・・・・






コメントについて

コメントの返信については、

昼間は書き込み規制が使用しているPCにかかっているのため、

書き込むことができません。

申し訳ございませんが、

週末の作業になりそうです。