第1章|ふみやんヒストリー
まずは僕の生い立ちについて、すべてをお話ししたいと思います!
以前Twitterで取ったアンケート結果にて、2番目に興味を持っていただいていたこの項目。
僕自身に興味を持ってくれた方が多かったことに驚くと共に、喜びでいっぱいです。
本当嬉しいなぁ。
では、僕のヒストリーをどうぞ。
重たい話もあるかもしれませんが読んでいただけると嬉しいです。
1-1|学生時代
・貧しかった少年時代
僕の家は貧乏だった。
父はサラリーマンには向かない性格で、色んな事業にチャレンジしては失敗し、借金を抱えてしまった。
母は、そんな父だったので、働きに出ていて、僕は小学生の頃はすごく寂しい思いをしていた。
夕方寝ていると、怖い夢を見て飛び起き、不安な気持ちでいっぱいになり、よく母の職場に電話していたことを覚えている。
迷惑がかかることは頭では理解していたけど、不安で、寂しかった。
お金がなかったから、習い事にはほとんど行ってなかったけど、
小2から始めたサッカーはそこそこ好きで、他に特にやりたいことはなかったから「行かせてほしい」とアピールすることもなかった。
中学生になって、みんなが塾に行き始めて、楽しそうだったし行きたいと少し思ったけど、
その頃家では両親がよくお金のことで揉めていたので、言うことはなかった。
僕にとっては、「家族が仲良く一緒に過ごすこと」それが一番の願いだったし、それ以外は何もいらないと思っていた。
そんな僕の願いは虚しく、両親は離婚することになった。
両親が悲しむと分かっていたからか、不思議と涙は出なかったけど、心の中は暗く、悲しかったのを覚えている。
でも、「僕と兄が大きくなるまでは両親が近くでいたほうがいい。」と、父はすぐ近くのアパートに住み、晩ご飯だけは家族みんなで一緒に食べていた。
父と母の心が離れたことは、すごく辛かったけど、
みんなで晩ご飯が食べられる。それだけで僕は幸せだった。
・もう一度サッカーを
高校生になり、高校1年の時にサッカーを辞めた。
同じように部活を辞めた仲間たちと放課後毎日のように遊んだ。
ダンスを練習したり、バイクに乗ったり、悪いことも少ししたかな。
でも、何かが足りなかった。
高校3年の夏。
同じサッカー部だった仲間たちが、高校最後の選手権大会に勝ち上がってるから応援に来て欲しいと誘ってくれたので、一人で応援に行った。
今でも忘れもしない。
土のグランドで、大雨の中の試合だった。
土で泥だらけになりながらボールを必死に追いかける仲間の姿を見て、僕の心の奥に熱いものが込み上げてきた。
相手チームは国体選手を3〜4名抱える強豪校で、試合には負けてしまった。
試合に負けて泣く仲間の姿を見ながら、
僕は応援席で、一人号泣した。
感動したのもあるけど、
それよりも「僕は何をしているんだろう?」
「今の自分は何にも真剣に、必死になることはなくて、なんてカッコ悪いんだ。」
「僕も、人生に一度くらい何かに必死に打ち込みたい。」
そんな、自分自身への情けない気持ちから、泣いた。
本当に、周りが引くぐらい僕は泣き続けた。
この時、「もう一度本気でサッカーをやろう」と決意した。
そして、第2のサッカー人生がスタートした。
今思うと、この時の気持ちが今に繋がっていると強く想う。
その後、福祉系専門学校に入り、3年間通ったけど、
その間、サッカーやフットサルに狂ったように打ち込んだ。
勉強はほとんどしていなかった。
・親友の病死
もう一つ、僕の考え方を変えた出来事があった。
高校3年の時に、僕の親友が白血病で亡くなった。
重い病気になっていることは薄々気付いていたけど、彼は僕らに病名を告げることは最後まで無かった。
この時まで身近な人の死は経験が無かったから、薄々気付きながらも、
親友が亡くなることなんて想像もできなくて、見て見ぬ振りをしていた。
だから、知らせを受けた時は本当にショックだったし、後悔をした。
もっとお見舞いに行けば良かった。
もっと彼との時間を大切にすれば良かった。
亡くなる少し前に、少しの間退院していた彼がテニスをしたいと言ったので、仲の良いみんなでテニスをしに行った!
彼はしんどそうにしながらも、すごく楽しそうで、ずっと続けたがっていた。
「また来ようよ。」と言って一緒に帰り、
テニスをした帰り道、彼が酷く咳をしていて辛そうだったのは今でも覚えている。
それが彼と一緒に遊んだ最後の日になった。
あとから友達から聞いたが、その日彼はトイレで血を吐いていたらしい。
身体はそれだけ辛かったのに、それでも好きなことを仲間とやりたかったのだと思う。
学校に行くことや、運動をすること、僕らにとっては当たり前のことができない人もいる。
僕らが今生きていることも、大切な人が生きていることも、
当たり前のことでは無く、もっと大切にするべきことなんだと、彼が気付かせてくれた。
彼のお通夜やお葬式で、本当に涙が枯れるくらい泣き続け、
高校3年生だった僕は、彼の分も人生を生き、人生を楽しむことを誓った。
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