読書というと、一般にはどうも文学が多いように思われます。

私の場合、文学との付き合いはとても浅いと言わねばなりません。それ以外のノンフィクション関係のものは、はてなブログの“人生の裏側“で結構取り上げていて、ここでは極力そういう 風味のものには触れないつもりでいるのです。

さて、その文学でもどうも一般には圧倒的に小説が多いようで、それも私には余計付き合いは浅くなってしまいます。しかし勿論文学は小説だけじゃありません。私の文学のカテについて言えば、いわゆる文学論とか、随筆、日記とかは文学には入りません。(私の好きな芥川龍之介とかJ.L.ボルヘスなどはその区別は曖昧なのであるが...ああいうのが文学を“超えた“文学なのだろうか?)

詩、戯曲、童話、寓話とかは勿論入ります。それを含めると私がこれまで読んだ“純文学(?)“の倍以上にはなりそうで、ぐっとすべての“わが読書“に近づいて来るようです。

でも、もう一つのブログと比べてエンタメ色の強いこの場では、小説っぽい、“純文学“よりのものについて書いてみたいと思うのです。

まず読書そのものは大学四年の頃から本格的になるのですが、それまで読んだ記憶のある文学は、E.A.ポー、ラブクラフト、小泉八雲くらいしかありません。ホラー作家ばかりではないか?、それも短編作家ばかり。とにかく長編ものというのが30くらいの時、ドストエフスキーの「悪霊」(これがちっともホラーじゃないんだ!)を読んだのが初めてで、 そんなんで長いものはこれまで数えるしか読んだことありません。そういうのは何しろ 根気が要るし、ストーリーが中々頭に入って来ないもんで!...いつ日常から離れた超自然的な展開になるのか?、ならないのは退屈でしょうがない、といった始末なのです。

こないだ、はてなブログの方で超自然的なこと(いつの間にか何か不可知のものが現れるとか、そういうことばっかり書いてんだ!)について書きましたが、ここでは超自然現象というホラーなことも多く触れているのです。これはどうも同じ超自然的なことでも両立しないようですね。あっちで言っているのはもっと内的な心的状態のことを言っているのです。でなきゃ、“あっ、ぱっと何か現れた!“、何て言ってたら完全に幻想世界の住人になってしまいますよ。

でもどちらにしても、それは現実を超え出たことには違いないでしょう。要するに私は昔からそういうのが好きなんです。ホラーっぽいものはフィクションだから付き合える訳で、ああいうのが本当だったらコワいですねえ!(あっちで書いているのは本当なんだ!)

何でこういうことを書いているのかと 言うと、ここ数年、毎夏そういう小説、エッセイとかを読んでいるからなのです。今年もラブクラフトの「チャールス.デクスター.ウォード事件」(新潮文庫)や加門七海さんの「怪のはなし」(集英社文庫)を面白く読みました。後者は基本実話なのです。それを物語風に面白く描くところがいい!...作者はそういう世界のことに惹かれてやまないようなのですが、いざ現実に自分に降りかかって来ると、“いやだあ、コワい!“ってなるのは、作者と違って霊能者でない私にもすごくよく分かります。

何にしても、現実から超え出ないような文学、いやすべての読書と言っても いいですが、私は読む気がしません。来月は久しぶりにドストエフスキーを読む予定です。あれは超自然現象などはほとんど出て来ないですが、どっかで超え出てしまう展開になるでしょ?

このバカバカしくもヘンテコな現実世界は、超え出ないとやり切れないですよ!...ここんとこの夏は超自然的に暑いし!

しかし...もしかしたら我々は、否応なしに超自然的な世界に付き合わされているのかもしれません。“おお...コワっ!“