こんにちは、みなさま。



今日は、これをご紹介させて頂きたいと思います。以前にもUP致しましたが、まだご存知ない方のために再度UP致しました。



スタンフォード大学の教授は幸せになる方法について分析し、5つの法則を発見しました。

1. .ポジティブな人々と多くの時間接するようにすること。特に親友。
2. 噂話、ゴシップは控えること。重要なことや事実のみを話すこと。
3. ネットワーク、ボランティアなど、社会的な運動に参加すること。
4. 空想にふけるのも良いこと。あなたの休日がより楽しいものだという想像を。
5. 呼吸をゆっくり、深くして、時間を長くしてみること。


最後に、「幸せ」は人によって違うということを覚えておきましょう。若いうちは新しい体験を好みますが、年齢を重ねていくにつれ、友人たちとの平和な時間を好むのです。


あるお医者さまのブログより



なんかいいでしょ~??♪( ´▽`)
幸せですか?みなさま。
きっと幸せですよね、私のブログの読者様は。



同じ波動ですもの。
通じ合うものがあるはずですものね。
玲奈が幸せなら、みなさまも幸せですよね。波動は伝染しています、な~んてね(#^.^#)




明日もまた、あなたなのために日は昇ります。



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こんにちは。




昨日は本当に忙しい、慌しい、そして楽しい感謝あふれる一日でした。




『愛の反対は憎しみではなく無関心です』
マザー・テレサ


先日から妙に頭からこの言葉が離れません。昨年もブログでご紹介致しました言葉です。



愛は、相手に関心をもつことから始まるのでしょう、相手に関心がなくなるのは愛が冷めてきたのかもしれません。


幸せのヒント 「まず関心をもつ」


『愛はまず他の人々に対する関心、あるいは感受性に始まり、 そこから成長するものです』 R・コンクリン


『誰かをいとしいと思うと、その人の喜び、成長、幸福が いちばん大切なものになる』 レオ・バスカリア


『愛とは他人の運命を自己の興味とすることである。他人の運命を傷つけることを畏れる心である』 倉田百三




愛は、相手の幸せを願い、不幸を望まないことでしょう。



『他人のことに関心を持たない人は、苦難の人生を歩まねばならず、他人に対しても大きな迷惑をかける。人間のあらゆる失敗は、そういう人たちの間から生まれる』 アドラー



『どんな関係においても、致命的な敵とは、自分自身、そしてお互いをあたり前のものつまり空気のように思い、関心をもたないことです』
トム・ラスク




愛する人に対しても、自分に対しても、まず関心をもち、幸せになれるように、また不幸にならないように力を尽くすことが大切なのではないでしょうか。


自分を粗末に扱う方が、この頃多いように感じます。

自分の健康に無関心、
自分の将来に無関心、
自分の周りの人に無関心、
家族に対して無関心、


いろんな無関心は、自ら愛を遠ざけていることなのですね。


無関心・・・
改めてとても冷たい言葉に感じた今日この頃でした。


まずは、自分自身への関心を高めませんか?



P.S.
いつもおせっかいな玲奈さんは、無関心よりこのままおせっかいでいた方がいいなと改めて思った今日この頃でした、うふふっ♪




お忙しい中読んでいただき、
誠に有難うございました。





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あるお話を大分と昔に聞いたことを思い出しました。


六歳の男の子が小児ガンになってしまい入院していました。
お見舞いに行くと、病気とは思えない大きな声でいつも、

「大きくなったら、おまわりさんになって悪い人を捕まえるんだ」

と笑顔で話していました。
ある日、いつもは素直な男の子がお母さんに、

「僕の病気は何なの?僕の病気、治るよね?大人になっておまわりさんになれるよね」

と、泣きながらダダをこねていました。
その晩、男の子は急に容態が悪化してなくなりました。

男の子が抱いた夢は残念ながら叶いませんでした。


「大人になる」


そんな些細な夢も叶いませんでした。
私たちは今、彼の夢だった大人になっています。
でも、当たり前のように大人になった後に、本当に夢に向かって毎日頑張っているでしょうか?


夢に向かって努力できるのは当たり前ではありません。
とても、とても恵まれたことだと思いました。


私のように好きな仕事をさせていただいているのに、落ち込んだり、努力を怠っているようでは、この男の子に申し訳ないと思いました。


大人になって、夢に向かって挑戦できる舞台に立てたことに感謝して努力をしないといけないですね。


石のご相談に来られたお客様が自分のしごとについて愚痴や文句を仰る方がおられたら私は、

「あなたは小さい頃、何になりたかったのですか?」


と、質問します。
ご相談者は子どものときに大人になってやりたかったことを思いだします。
夢をもっていた頃の自分と向き合います。

もちろん、今の仕事をやりたいという夢を持っていたご相談者ばかりではありません。
中には夢なんて考えたこともないという方もおられました。


そこで次に、


「どうしてこのお仕事を選ばれたのですか?」


と質問します。
お仕事が嫌になっているご相談者も最初からではありません。

入社したときは希望にあふれていたと思います。
その頃のお気持ちを思いだしてもらいます。


実はこの質問、自分にも向けられている質問です。
本当にこの仕事に人生をかけていいのか?
その答えは簡単には見つからないと思いますが、仕事に悩んで自分が嫌になったときこの男の子の話を思い出してください。


当たり前に感じているお仕事が、実は奇跡なことに気づきます。
小さい頃、やりたいと思っていた仕事と違っていても、この仕事を選んだのはあなたです。



自分の選択したことに責任をもってください。
やり通すという信念をもってください。簡単に諦めないでください。


自分の選んだ仕事に対して、責任とプライドをもってください。




私は、好きな仕事、やりたい仕事をさせていただいている事にとても感謝しています。
この頃特に、そう思います。
人生をかけたいお仕事だと思っております。



どんなお仕事も、人様のお役に立っているということを決して忘れないで下さいね。



ではこれから、元スッチー仲間の「女子会」です。
総勢・・・といっても8名ばかりですが(;^_^A

外見は、かよわそうな華奢な美女ばっかりですが、
中身は、かなり男前な女子ばっかりですよ~~~(笑)




今日も一日、
大切な時をありがとうございました。




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こんにちは。。。



昨日は、とてもいいお天気でしたね。
久々にゆっくりさせて頂きました、ありがとうございます。


今日は、仲良しさん3人で京都へ参りました。
前々からお約束をしておりました「おきもの」を召して、京都のとあるお寺へ写経をしに行って参りました。


訪れた場所は、私がモデルのお仕事をさせて頂いてた時に撮影で何度かお邪魔させていただいたお寺なんです。


今では、ご住職様とお年賀だけのやりとりだけのお付き合いになりましたことを寂しく感じておりました。


きものモデル時代がとても懐かしく思え、思い切って御住職へお電話をさせて頂きました。


大変、喜んでくださり昔話に花が咲きました。ということで、今日お邪魔することに致しました。


時々通っていました「朝粥」のお店。
朝の6時から営業されておられます。
町屋のような感じで、囲炉裏があり、本当に落ち着く空間です。


ご予約して寄せていただきました。
もうかれこれ、20年前のことですが、
ご主人が私たちを覚えていてくださっておりました。


感激して胸がいっぱいになり、あの時の思い出が、いっきに蘇りました。


素敵な一日をありがとうございました。たくさん、ご褒美を頂いた気分でしあわせでした。


どうして、私達を覚えていてくださったのですか?と尋ねてみました。
そうしましたら、当時のおかみさんが奥から出てこられて(現在73歳)


「覚えてますか?私がリュウマチで膝にサポーターを巻き足を引きずりながら店に出ていた頃、お客さんが一緒に来られているお仲間さんに、
『食べ終わったら、お盆ごとあそこに運んでね。』と指示されていたんです。

私が、置いといてくださいと言うと、『リュウマチ痛いでしょ、大事にしてください』と仰ってくださったんです。ズボンの下でサポータ見えてないはずなのに、なんで知っておられるのかな~と不思議に思ったんですよ。

ですがその日は、その会話を聞いておられていた他のお客さままでが自分で返却してくださったんです。

その後のお客さんも、その後も。
お陰さまで、最後のお客さんまでが食事をした後は、みなさんお盆を運んでくださったんですよ。足が本当に楽でした。

家族旅行に行っていて店に出れなかった息子夫婦に帰って来てからあの時のお話をしました。
良かったね、旅先で心配だったんだと言っていました。

その方は、とってもおきものの似合う女性だったんよと話していたんです。
その節は、本当にありがとうございました。

今日もおきものですね、やっぱりよくお似合いです」


と、お話をしてくださいました。


 
私たちは、驚きました。
私たちが、帰った後にそんなドラマが繰り広げられていたなんて!


どうしてこのことを今日、ブログに書かせていただいたかと申しますと、決して自慢話をしたいからではございません。


 一緒に居ていたもう一人の友人が、書いて欲しいと切願してきたからなんです。恥ずかしい~~~~~と申しましたが、彼女曰く、


 「玲奈とY子は、よく人を見ている。周りの人に対して無関心じゃない証拠だね。ブログに書いてあったね、無関心は愛がないことだって」と。。。


 私はあまり自分ではピンッと来なかったのですが、私はY子のことを書こうと思ったんです。


 最初に言い出したのは、Y子だからです。私ではありません。周りの方に関心を抱くことで出来る気遣いや配慮。さりげなく出来る彼女です。
20年経った今も店主の心に残る思い出なんですね・・・ちょっと嬉しかったです。


そしてこれからも元気でお店を頑張って欲しいとお願いし、お店のみなさんと握手をして、お別れしました。


お寺では、ご住職が首をなが~~~~くされてお待ちでした。
お久しぶりですと言いながらみんな、涙が溢れていました。
積もるお話を、優しい微笑で聞いてくださいました。ありがとうございました。


そして、お茶を所望いたしました。
日本人で良かったと思える瞬間でしたね、うふふ。。。

 
そして、本堂にて写経をさせていただきました。きものは、背筋がピンッとしますので、姿勢が綺麗ですね。


「書」っていですね・・・改めて思いました(今更ながら・・・)
私も書道は、大好きですがここ数年書いてませんね。また、書きたくなった今日この頃です。


御香と静寂にに包まれながら、今日までの反省をさせていただくことが出来ました。

 
今日のたくさんのお導きに手を合わせ、感謝いたしました。


 
帰宅して、きものを片付けていますと、電話が鳴りました。
サウナで汗を流さない?というお客様からのお誘いでした。
久々でしたのでご一緒させて頂きました。

 
 そのサウナの中でのTV番組がとってもよいお話でしたので、さっそく書かせていただきます。
 

娘の両親は、嫁姑の関係がうまくいかず、いつもケンカしていた。
父は給料をまず姑に全額渡し、そこから母が生活費をもらっていたが、
その額、ひと月5万円。
両親と子供たち、家族全員の生活費をまかなうには家計が苦しく、母は募る不満を父にぶつけ、いつも怒鳴り合いのケンカばかり。

そんなある日、父が仕事で大阪へ行った時のこと…
母は突然、子供たちを連れて埼玉県のとある田園地帯へ…。姑の元から離れたい一心で、なんと一軒家を無断で購入!父は娘達のもとには帰ってこないと思っていたが、新しい家に帰ってきた。娘は、ケンカばかりにも関わらず母の元へ帰ってくる父を不思議に思っていた。

とはいえ…嫁姑問題から出来てしまった2人の溝は深く、そのうち、ケンカさえしなくなってしまい、完全な家庭内別居状態に…。
しかし外出時は、父は世間の目を気にして、良きパパを演じていた。

そんな生活を続けること、なんと10年…。
ある日、娘はテーブルに離婚届が置いてあるのを見つけた。
今にも家を出ようとする母を見て、娘は、ずっと思っていた事を父にぶつけた。娘が考えたことは、いたって単純なこと。

それは一言謝ること。
「すまなかった、悪かった」が言えない。

娘のすすめで仕方なく、両親が会話を始めた。すると、姑との問題も、話してみると 父が知らなかったことも多く、お互いがお互いの状況をわからずに、ただひたすら我慢していただけだった。

父は、「今まですまなかった、こうして話せばすぐに誤解は解けたのに。。。」

このことがきっかけで、
いままでの時間を取り戻すかのように、仲のいい家族になった。
そんな父は、出演した超有名CMで大ブレイク!今や映画やドラマには欠かせない名脇役に!!


清水さんご一家です。
チワワのくーちゃんと一躍有名になりましたよね。


家族間での対話、会話、とにかく「話す」が本当に大切なんだと痛感させられた内容でした。


意地をはっていませんか?
ありがとう、ごめんなさい、言えていますか?


日々の感謝はちゃんと言葉にして相手に伝える努力をしましょうね、これ大切ですよ。



自分がしてほしいことを自分から積極的に行いたいですね。
それはまず、言葉を掛けることじゃないでしょうか?



お忙しい中、読んでいただき、誠にありがとうございました。



明日もまた、あなたのために日は昇ります。


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私のオヤジは酒のみで、金にもだらしない人間でした。
幼い頃より、いつもそのことが原因で夫婦喧嘩が絶え間なく、私はオヤジが大嫌いでした。


オヤジは当時(昭和30年頃)、繊維会社の人事課で働いていたのですが、会社で問題を起こして解雇同様になり、
私は生まれ育ったその土地を、小二の時に引っ越すことになりました。


それからの生活は、貧乏と家庭環境の悪化で最悪のものとなっていきました。そんな訳で、私の兄・姉たちは卒業をすると同時に家を出て行きました。私は中学生頃から、そんなオヤジにひどい暴力を振るうようになりました。
困ったオヤジは度々、町の相談所へ行っていたようです。


中学を卒業した頃に、オヤジは家族の誰もいない時に、アパートの共同トイレに行く途中で倒れて亡くなってしまいました。

葬式の時に、オヤジに「金を貸していた」と、同じ職場の人に催促されたほどでした。

全く尊敬できない、どのように思い返しても“しょうもないオヤジ”でした。



時は過ぎ、私は50歳を越える年齢となった頃に、この地域一帯がニュースで大々的に取り上げられるような災害に遭ってしまいました。
それでも、多くの方々の援助で何とか
立ち直ることが出来ました。

それから半年ほど経った頃に、オヤジが当時、勤務していた土地に嫁いでいた姉から電話がありました。

姉の話によると「この前、年老いたご夫婦が訪ねて来てこんな話をされた。

『私は20歳の時、お父さんの勤めていた会社に面接に行きました。
しかし、私は戦争で手に障害があったので採用は無理なようでした。

その時に人事課の課長さんであったお父さんが、上司に、何とか採用してほしいと熱心に頼んでくれたお陰で今日まで生きてこられたのです。
あの時に就職が出来なかったならどうなっていたかと……』

さらに話を続けて
『会社で問題を起こしたと、
された事件もお父さんを解雇させたい人達の策略にあったのです。引っ越されてからも、風の便りでお父さんや
ご家族のことは気にかけておりました。

お父さんが亡くなられたことも知っていました。
お礼を言わないままに、この歳になってしまい申し訳ありませんでした。
恐らく、この前の災害で、ご家族が被災されたのではないかと思い、この機会に、一言だけでもご家族の方に、お見舞いと過去のお礼を告げたいと、夫婦で思い切って訪れさせて頂きました』と言われてビックリしてしまったわ。
だらしがないだけのお父さんと思っていたけど、そんなことがあったなんて知らなかった」とのことでした。

私も、その話には驚きました。
母からも、もちろんオヤジからも聞いたことのない話でした。


大嫌いで軽蔑すらしていたオヤジに対して、この話以来、オヤジの墓前に悪態をつくのをやめました。

今はオヤジに感謝しています。
今の私の人生があるのは、やはり両親のお陰だと思うからです。
それに気づかせてくれたのは、あなたのブログです。

感謝・・・て理解しているつもりでしたがこの歳になるまで解っていなかったように思います。
お恥ずかしい昔話を読んでいただき有難うございました。
これからもブログを楽しみにしています。ありがとうございました。



ご本人様にご許可を頂き、公開しております。


私にも経験があります。
なかなか親に感謝できないものですよね、当たり前になっていて。
自分が家庭をもってはじめてわかる方が多いかもしれません。
遅くはないと思います。気づけたら、それでオールOKなんですよ。

私が言うのもなんですが、お母様にお父様の分も親孝行してあげてくださいませね。





明日もまた、あなたのために必ず日は昇ります。



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こんにちは、みなさま。




ちょっとバタバタしており、
更新がおろそかになっていました。
申し訳ありません。




時間がいくらあっても足りない。
時間の配分が悪いのかもしれませんね、反省し改めなきゃです(汗)




そんな時に、偶然出会った言葉が
なんとマザーテレサの言葉だったとは、、、





考える時間を持ちなさい

祈る時間を持ちなさい

笑う時間を持ちなさい

 

それは力の源

それは地球でもっとも偉大な力

それは魂の音楽

 

遊ぶ時間を持ちなさい

愛し、愛される時間を持ちなさい

与える時間を持ちなさい

 

それは永遠につづく若さの秘密

それは神が与えてくれた特権

自分勝手になるには、一日は短すぎる

 

読書する時間を持ちなさい

親しくなるための時間を持ちなさい

働く時間を持ちなさい

 

それは知識のわき出る泉

それは幸福へつづく道

それは成功の価値

 

施しをする時間を持ちなさい

それは天国へと導く鍵

 

[カルカッタの「孤児の家」の壁にある看板より]

子どもたちを見るとき、マザーの顔は優しさと慈しみにみちていました。

すべての子どもたちが、この世に望まれて生まれてくる、とマザーは言っています。それは一人の例外もなくすべての子どもたちを意味していました。




子どもは、天使そのものです。
この世にいる私たちに大切なことは
なにかという教えを説きに来てくれています。



子どもから学ぶことの多さに
親御さまたちは気づいておられるはずですよね。



どんなときも、いくつになっても、
謙虚さを忘れず学ぶ姿勢を怠らず、
歩んでいきたいと思いました。



今日は、ゴールデンウィーク最終日。
みなさま、素敵な週末をお過ごしくださいませ。



明日もまた、あなたのために必ず日は昇ります。




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こんばんは、みなさん。




玲奈がベッドインして、
寝ようかな~って思いながら開いたドラッカーの本のあるページ。



優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである。 一度も間違いをしたことのない者、 それも大きな間違いをしたことのない者をトップレベルの地位に就かせてはならない。間違いをしたことのない者は凡庸である。 そのうえ、いかにして間違いを発見し、いかにしてそれを早く直すかを知らない。

『現代の経営』




当たり前なんですが、あらためて心に響いた言葉でした。
みなさまは、どう感じましたか?



それでは、おやすみなさい。
明日もまた、あなたのために日は昇ります。




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こんにちは、みなさん。



ちょっとだけドラッカーに
かぶれている玲奈です、アハッ♬
今頃~(笑)




成果を上げる人の共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結びつける上で、必要とされている習慣的な力である。企業や政府機関で働いていようと、病院の理事長や大学の学長であろうと、まったく同じである。私の知る限り、知能や勤勉さ、想像力や知識がいかに優れようと、そのような習慣的な力に欠ける人は成果を上げることができなかった。成果を上げることは一つの習慣である。習慣的な能力の蓄積である。習慣的な能力は、常に習得に努めることが必要である。習慣になるまで、いやになるほど反復しかければならない。
[ピーター・ドラッカーの名言・格言|成果を上げる人の多くが持つ特長]




昔の人は言った。「夕食の客には教育ある人が良い。しかし砂漠では、教育のある人よりも何かのやり方を知っている人が必要だ。教育ある人間はいらない」。事実すでにアメリカの大学では、伝統的な教養人は、教育ある人間とさえ見なされなくなっている。そのような者は、趣味人として一段下に見られている。
[ピーター・ドラッカーの名言・格言|一般教養はもはや意味をなさない]



今日、開いたページ。
なるほど!
さて、みなさんはドラッカーのこの言葉。どう思いますか?



今日もお疲れ様でした。
明日に疲れを残さないように…





明日もまた、私たちのために日は昇ります。


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私たちが生きているこの世界は、神道では現世といいます。
「うつしよ」と読みます。


なにを映しているのかというと、あの世を映しています。
つまりこの物質世界(形のある世界)ではなく魂の世界、心だけの世界の投影なのです。

近年社会が乱れてきたのはあの世が乱れているからです。

人生を終え自分の心を置く場所が、
マイナスの世界だと悲しいことですね。

しかし、人は人生をまっとうしあの世に行くとき、行き先を自分で決めることができます。


人生をどう生きてきたのか、その中身だけでなく、自分の心が自分が行くべき道を決めます。


智・仁・勇・暖とは神が教える
人の器(うつわ)をあらわしています。

智とは知恵、知性の智。魂の記憶を
含めた知識のことをいいます。

仁とは人間性や人の善性。
心をもった人の生き方をあらわします。

勇とは、勇気の勇。勇敢の勇。
強く生きようという心や行いをあらわします。

そして暖は、文字通りあたたかい人の事。
上の3つが満たされると人は暖かい人になります。

この4つの文字にあらわされる器を伸ばし、自分を成長させる生き方(活き方)が神に叶う、人の生き方です。


智仁勇暖 天元神惟 王道建設 神我共道

ちじんゆうだん てんげんしんい おうどうけんせつ しんがきょうどう

これは大神呪といいます。
頭で理解することは難しいかもしれませんが、日常の生活のなかでこの言葉を口に出し自分を見つめてください。


この言葉を口に出して生きてゆくと、
己の器がひろがり成長できます。


日本人として生まれたのも偶然ではないのであれば、日本人の心、神道から生き方を学ぶのもひとつかもしれませんね。



明日もまた、あなたのために日は昇ります。



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幸せになりたいと人はよく言う。
幸せとはどこにあるのだろうか。


カールブッセは「山のあなたの空高く、幸い住むと人の言う」といっている。

山の向こうに幸せが有るだろうか。
そんなものは山の向こうにはない。

青い鳥という童話で、チルチルとミチルは青い鳥(幸せ)をあちらこちらへ捜しに出かける。

結局青い鳥は見つからず、家に帰ってみるとそこには暖かい家庭があり、それが幸せだと気づく。
 
幸せは外の世界にはなく、自らの内にあるというのが神道の考え方である。


外にないものを求めず、内に求めよということである。
ところで幸せとはなんであろうか。
人間というものはやっかいなものである。


上昇思考がある。 サラリーマンでいえば何とか係長になりたいと思い、なれば課長、部長、社長になりたいと思う。

生活で言えばラジオ、テレビ、ステレオが欲しい、小型車を手に入れれば中型車、大型車が欲しいと欲にはきりがない。
 

望んでいる時はそれが手に入れば幸せになれるような気がするのだが、手に入れば次のものが欲しくなり、留まるところがない。

神道においても仏教においても幸せは、そんなものではない。
朝起きて布団を片付けて掃除をしてご飯を食べて一日くたくたになるまで一生懸命働く、そして寝るという生活、その繰り返しが幸せなのです。

あるがままの生活、何の変化も無い生活、あたりまえの生活と思っていることが実はそれがあたりまえではなく、有難く素晴らしいことなのだと早く気づいてほしいのです。


それこそが原点であり、それに気付いたときからすべてがはじまるからなのです。



明日もまた、あなたのために日は昇ます。



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