来月こそは・・・(長文)
もう何年も田舎に帰ってない・・・・
何かと仕事仕事といいながら
海外旅行はいってたのに・・・・
だから、今年こそは帰ろうと思っていた。
そして、今はこんなだから行ける!
私は、1歳から16歳(高校1年)まで、福島のド田舎で
育った。
トトロに出てくるような田舎で。
1歳から16歳まで、祖母と2人だった。
祖母が1人で私を育てた・・・・。
物心ついた時には、祖母と二人。
夏休み、冬休みには祖父が仕事先から帰ってきた。
私は優しい祖父が大好きだった。小6で祖父が亡くなるまで
いつも祖父が来るのが楽しみでしょうがなかった。
日曜日のサザエさんがやる時間くらいには
祖父はかかさず、毎週電話をくれた。
携帯もなかった時だから、公衆電話からいつも
かけてきてくれた。
祖母にかわることはほとんどなく
私が1週間あったことをいつも優しく聞いてくれていた。
学校でこんなことがあったんだよ。
図工で最近絵を書いてるんだよ。
背が2センチも伸びたんだよ。
また、ばあちゃんに怒られたよ。
じいちゃん、次はいつ帰ってくるの???
一方的に話す私の話をいつもウンウンと聞いてくれていた。
祖母は、怖かった・・・。
一人で父親役も母親役もやっていてくれた。
お寺のガラスを割った時はめちゃくちゃ怒られた。
小さいときは、よく押入れに閉じ込められた。
ねずみが出てきて食べられると言われ信じていた
私には、押入れはとてもこわいものだった。
「もう、しないからあ~(泣)」
なぜか小さい私は内側からあけられず、まっくらの
押入れで大泣きをしていた。
押入れの記憶が強烈だ。
よくひっぱたかれた。
雪の中閉め出されることもあった。
しかし、私はそんな怒られるほど何をしたかは
覚えていない。
あれは、ちゃんとした
躾というものだった。
今は、すぐ虐待ととるものもあれば
本当にわが子を虐待し、取り返しのつかないこと
をしてしまう親も少なくない。
その境目はわかりにくい。
ただ、私は祖母にきちんと躾られたのは確かだと思う。
親がいないからと人様に指を指されるような子に育てたくない。
祖母がそう思いながら育ててくれたのは私も知っている。
だから誰よりも厳しかった。
親がいない・・・・正確にはいた。
父は神奈川で仕事をしていた。
ただ、仕事仕事の父とは1年で逢う機会は
少なかった。
電話の記憶もあまりない。あったとは思うが・・・思いだせない。
夏休みに父は自分の会社の人たちをたくさん連れて帰ってきたり
冬休みに父の神奈川の家に行っていたことは覚えてはいる。
幼いころの私は、父がきらいだったのだ。
仕事仕事と忙しく滅多に逢えない父が嫌だったんだと思う。
娘に会う時間もないほど、忙しい仕事ってものはなんなんだ。
パパは、きっと仕事の方が大事なんだ。
なんて思っていたんだと思う。
今は、もちろんそうじゃないことは良くわかる。
仕事ってものがどういうものか・・・・
父がどう思っていたか・・・
父や16歳以降のことは、また気が向いたら書く
として・・・。
祖母は、一人であの田舎に今も住んでいる。
さっき、祖母に電話した。かなり久しぶりに。
「え?おまえわ~連絡もしないで、ばあちゃんのこと
忘れてたんだべ?」
いや、そんなことないよ。ばあちゃん。ごめんね。
「いやあ、憎たらしい孫だぁ。でもばあちゃん
声聞いたら許せちゃうんだな~」
あ~、ばあちゃんホントごめんよ。一人で寂しいよね。
来月は絶対帰るからさ。
なんて思いながら話した。
久々の孫の電話、帰ることに喜んでいた。
まさかまさか・・・孫が転々と旅し始めたことなんて知らない。
・・・・これは言えない。
昭和1桁生まれのばあちゃんにこれは言えない。
まさか、30近い孫娘が転々と旅してるなんて・・・!
あ!!!!!!
おまえら言うなよ・・・・地元の友人達よ。絶対だからな。
でもさ・・・・来月帰るから、待っててよ!