誰だって不幸にはなりたくないだろう。世間から不幸を押し付けられたいとも思わないだろう。最初から親のいない私達はそれでも幸せに暮らしていた、と今ならいえると思う。赤ん坊の頃からずっと一緒で同じような境遇だった親友が、遠いところへ行ってしまってからというもの、私の心には大きな穴が開き、見る景色全てが灰色になってしまった。今でもたまに夢を見る。金持ちの家に引き取られた親友が、鏡の向こう側でにっこり笑って手を振る、そんな夢を。



 昭和三十九年、八月も終わりに差し掛かってきた頃のこと。園の庭にある長方形の植木鉢 (プランター)には沢山の朝顔の花が咲いている。子供達が一生懸命に育てたそれは、見事な円で赤紫色をしていた。その他にも木槿や白い芙蓉の花が私達の目を楽しませてくれる他、座面がベンチのようになった二人がけのブランコや、沢山の木が植った日陰には小さな池がある。池には黒い鯉が二、三匹泳いでいて、水面には浮草や未草、河骨といった植物が顔を出している。それ以外にはこれといって特徴のない庭だが、昼になると子供達が外へ出るのでとても賑やかになる。ある子は四、五人でサッカーなどのボール遊びを、ある子は木登りや大縄跳びを。勿論、寮の中で遊ぶ子もいる。大人しい子や大きい子は特にそうだ。



 小学校の校庭のように、サッカーゴールも鉄棒もない園庭を箒で掃いていると、一台の赤い車が門の前に停まっているのが見えた。この街でも何処でも、自家用車は高級品で滅多に通りかかることはない。オート三輪も、自転車も自動車程ではないが、通りかかる頻度は少ない。そもそもの話、子供用の自転車であっても大人用の自転車であっても通る頻度は少ないし、道路で遊ぶ子も多い。道端の花を手折って遊ぶ子だっている。だが今は午後一時。大半の子供達が、比較的涼しい寮の中で夏休みの宿題をしたり、室内で大人しく遊んでいる時間帯だ。まだ学校に上がっていない年齢の幼児達は昼寝をしているし、今は園長先生と私しかいない。他の二、三人の先生は買い出しや用事で忙しいからだ。それなのに、あの車は何の用で来たのだろうか。養子にしたい子でもいるのだろうか。疑問を巡らせていると、中から若い男が一人現れた。歳の頃は二十代前半から中盤くらいだろうか。男性にしては少し長い髪を後ろで纏め、光届かぬ深海の底か蒼玉 (サファイア)のような美しい藍色の瞳をしている。黒い開襟シャツにドッグタグのネックレスでお洒落に決めた彼はこちらに向かって、

「少し、よろしいでしょうか?」

と尋ねてきた。その声は人間離れしていて、例えるなら宗教画の中の天使のようだ。映画の中の俳優でもここまで美しい声の持ち主はいないだろう。だからだろうか、私は、

「は、はい‼︎」

緊張のあまり、声が裏返るだけではなく、躰さえも強張ってしまった。どうしよう、目の前の彼に心を奪われてしまいそうだ。私は、理性を総動員させてギリギリのところで正気を保ちつつ、

「ど、どんなご用でしょうか?」と彼に訊く。声が高くなっているが、相手は気にしていないようだ。その証拠に穏やかな笑みを崩していない。

「この孤児院に、銀色の髪にオリーブ色の眼をした子がいると聞いたのです。その子をずっと探し回っておりまして。申し遅れました、私は……」

彼は懐から名刺を取り出した。それを見た限りだと、どうも彼はアメリカにある大きな会社の社長らしい。何をしているのかは分からないが、私は取り敢えず応接間に彼を通すことにした。



 応接間に通された彼は、私と園長先生と向かい合うようにして黒い革張りのソファーに座る。出された紅茶には砂糖もミルクも入れずに、外国の王侯貴族を思わせる優雅な所作で数口飲んだ後、こちらに向き直った。

「私はこの十四年間ずっと件の子を探し回っていたのです。私自身、ここ十年で金回りも良くなりましたし、生活が安定したので良い暮らしをさせてやりたいと思ったのです。それに、部下との約束でもありますから」

私がその言葉に頷こうとした時、

「それはその子自身が決めることです。貴方様と暮らしたいかどうかは、その子の意志が伴わないと」

園長先生が割って入った。

「では、その子の顔を一目で構いません、見せていただけませんか?」

 

 

 私と園長先生は、彼を寮の遊戯室へと連れて行った。銀色の髪にオリーブ色の目といえばこゆきくらいしかいない。今なら彼女もこの部屋にいる筈だ。そう思っていたが、今日はいない。いつもなら仲良しの子と一緒に、床に画用紙を広げてお絵描きをしていたり、読書をしていたり、おはじきで遊んでいる筈なのだが。他の小さな子供達は床に車のおもちゃを走らせたり、熊のぬいぐるみとおままごとをしていたり、中にはけん玉を一生懸命練習している子や、千代紙で鶴を折っている子もいた。年長の、小学五年生から中学二年生くらいの子達は個室で勉強をしている。この部屋にはカラーテレビが置かれているが、今の時間帯は誰も見ていない。一応、いつでもつけていいことにはなっているが、子供達にとって魅力的な番組がないからか、他の楽しいことに夢中だからなのか、彼らは今の時間テレビに興味を示そうとしない。少なくとも、この園の子供達にとって『テレビの時間』とは夕方の五時から七時半までのこと。この時は夕食の時間とも重なるので、必然的に注意する回数が増えると同時に、お喋りの回数も増える。だからだろうか、私も子供達も基本的に『テレビは夕食時に見るもの』と認識していた。

 

 

 

 どうもこの男は他の子供達には興味がないようで、彼らの方を一度たりとも見ようとはしなかった。その上、革ベルトの、右腕に巻かれている高級そうな腕時計をチラチラと見ている。何か用事でもあるのだろうか。

「あの……」

「この後、商談がありまして。本日はこの辺でお暇させていただきます。ありがとうございました」

そう言って彼は颯爽と園を去っていった。あの赤い車に乗り、後にはエンジンの音だけを残して。私は焦がれるようなあの感覚を思い出していた。それはこれまでの人生で一度も味わったことのないもの。遠い昔、それもまだ私が学校に上がってさえいない頃。朧げながら覚えている、数少ない思い出の一つである、両親に連れられて行ったレストランの食事ともまた違う。きっと、今鏡を差し出されたらとても困る。私は、『してはいけない顔』をしているだろうから。

 

 

 

 商談というのは嘘だった。本当はあの孤児院から早いとこ立ち去りたいだけだったのだ。院に入った時、真っ先に視界に入ったのは燻んだ白の十字架だった。その次に目に入ったのが『聖カタリナ園』という文字列で、ご丁寧によく磨かれた黒い大理石のプレートに彫られている。それ以外は、特に変わったところなどない。元気にはしゃぎ、遊び回る子供達の中に件の子供はいなかった。それだけだった。

 

 

 

 

 部下 (マタドゥルモン)が運転する車に急いで乗り込み、趣があるとは言いがたい街の中を走る。商店街の中に、床屋や本屋、駄菓子屋といった小さくみすぼらしい店が立ち並んでいて、本屋にはカストリ雑誌なんて下品なモノは見当たらず、駄菓子屋には大勢の子供達が群がっていた。一つ十円程度の安い駄菓子を買う子、お世辞にも造りが豪華とはいえない、それでいて目玉として扱われている玩具を狙ってくじを一枚だけ引く子、何を買おうか迷った末に、店先にあるガチャガチャの重いハンドルを回す子。誰も彼もが小学生くらいの子供で、皆が黒いランドセルを背負っていた。大半の子が穿いている半ズボンからは、健康的な足が見えていて、中には陽の光で光った膝小僧を意図せず見せている子もいる。暑いのによくもまあ元気に動き回れるな、と思いながら私はその光景を横目で見ていた。もう少し前、それこそそれこそ十年くらい前までは米兵がガムやチョコレートといった菓子を、子供達に振舞っていたのだが。この時代の子供達は十四年前と違い、小綺麗な服を着ている。それどころかこの国も随分と豊かになりつつある。転がる紙クズは何処までもこの国の暗部を見せつけようとしていた。

 

 

 車は駅の方へ向かっているようだった。窓から見えた電柱には、『科学世紀の子供達』という大仰な赤い文字とともに、古臭い未来的なイメージの服を着た五人の少年少女のイラストが描かれている。マンガ調ではなく、劇画や教科書の絵を思わせる写実的なものだが。恐らくは映画の広告だろうか。『八月三十日公開!』の文字とともに、『少年たちよ、これが科学世紀だ!』というキャッチコピーが記されていた。

「……何が科学世紀だ。我々に対して能動的に触れようとしない限り、真の科学世紀など訪れまい。永久に、な」

消え入りそうな声で、呪言を。誰に届ける訳でもない。強いて言えば、この時代の住人達全てだろうか。まだ宇宙にさえ進めていない癖に、何が『科学世紀』だ。人類がそんな大言壮語を嘯けるようになるのはあと十年以上先になるだろう。

 

 

 昔、それこそ私とこゆきが五歳になるかならないかの時から、園の中には妙な噂があった。開かずの間と呼ばれる物置部屋には『黒い鏡』があり、それを四秒以上覗き込むと鏡の中に吸い込まれて二度と出られなくなってしまう、という噂。物置といっても、使われなくなったモノを一時的に保管しておく為の部屋だが。そんなに怖がらなくてもいい筈なのに、この話を年上の子から聞かされたこゆきは怯えて、ついには泣き出してしまった。私は優しく彼女の手を握り、慰めた。それに応えるようにして、こゆきは優しく私の手を握り返してくれた。その時から、こゆきは私について回るようになった。寮の部屋が一緒なのはまだ良いとして、食事の時はいつも隣だし、外で遊ぶ時もずっと一緒。小学校に上がった時はクラスこそ違えど、登下校の時だけは必ず一緒だ。昼休み、たまたま図書室でこゆきを見かけた時は、嬉しさのあまり抱きついてしまったこともある。その時の彼女は少し迷惑そうな顔をしていて、読もうとしていた怪談の本を落としてしまっていた。まだ私達が小学五年生の時のことだ。

 


 私とこゆきは、先生達がお客様の対応に追われているのをいいことに、先生の部屋から物置部屋の鍵を持ち出した。目的は一つ、あの時の噂の真相を確かめる為だ。銀髪の少女は私の手をぎゅっと掴んでいるが、私は怖くなかった。というのも、私自身はあの噂を信じていない。お化けなんて存在 (もの)は、大人が子供を躾ける為に生み出したのだから。お化けを未だに怖がるこゆきとは違って、私は冷めている。本当の意味で怖いモノなどこの世には一つもないからだ。でも、一度も入ったことのない部屋に入るというのはわくわくする。なるべく音を立てないように、私とこゆきは件の物置部屋へと向かった。

 

 

 開かずの間と呼ばれているだけあって、そこの扉の建て付けは悪く、更には陽当たりの悪いところにあり、いつもは鍵がかかっていた。御伽話にでも出てきそうな単純な形 (デザイン)の鍵を開け中に入ると、六畳程の部屋の中には使われなくなったモノや、壊れたモノが沢山積み上げられていた。ボロボロになった布の人形や、色褪せた絵本。もう誰も遊ばなくなったブリキのロボット。錆びついて鳴らなくなってしまった、バレリーナの人形がついたオルゴール。古びたアップライトピアノに手を伸ばし、試しに木目が剥き出しになった白鍵を叩いてみると、きちんと音が出た。他にもピアノの上にはネジを巻いてもあまり意味がないメトロノームや、ところどころほつれた亜麻色のテディベアといったものがある。埃まみれの本棚には、古い子供向けの雑誌が数冊と、沢山の図鑑、童話の本がぎっしりと詰まっていた。ピアノの近くにある、ボロボロの木箱の中には、まるでアメリカ人を思わせるような、青灰色の目をした小さな女の子の人形が入っていて、彼女は私達とは違って金色の髪をしている。着ている水色のエプロンドレスは薄汚れてこそいるものの、上も下もフリルがやり過ぎなくらい散りばめられている。胸までかかる髪は、触れるとサラサラしていて気持ちいい。頭のてっぺんには少し濃い水色のリボンが、まるでカチューシャのように結ばれていた。足にはフリルの白い三つ折りソックスと黒いストラップシューズを履いている。まるで、昔、院長先生に読み聞かせて貰った童話に出てきた女の子みたいだ。寝かせると、瞼を閉じはするが「ママ」とは言わない。そういう風に出来ているのだ。人形を仕舞い、私とこゆきはさして広くもない部屋の中の探索を続ける。さっきの人形と同じで、長いこと忘れ去られていた姿見を部屋の窓際で見つけた。埃を被っている一方で、趣のあるそのデザインは、いかにも貴婦人の寝室にありそうなモノだった。

「これじゃない?黒い鏡って」

「この部屋が暗いだけよ。カーテンだってずっと閉まったままだし、電気だって点いてないし……って、こゆき聞いてるの⁈」

「なんだろう、この鏡。なんだか吸い込まれそうな……?きゃっ!」

こゆきが小さな悲鳴をあげた次の瞬間、鏡の中から小さな白い人形が現れた。変にギザギザした耳に、丸っこい体。額には大きな赤い三角形を中心に、三つの黒い三角形がソレを取り囲んでいるという、奇妙な図形が刻まれている。目は緑色だが、こゆきより少し澄んでいて濃い色をしている。

「クル〜?」

不思議なことに、人形が突然喋り出した。その上、首を自然な動作で傾げている。

「この人形、生きてる⁈」

「かわい〜い!見て、玲子ちゃん、この子かわいいよ」

そう言って隣にいる少女は人形を抱き上げ、頬擦りをする。白い人形は困惑していたものの、少し経つとこゆきと一緒になってはしゃぎ始めた。

「そうだ、名前がないなら付けてあげるね!」

「クルモンはクルモンです!キミは、なんていうで〜すか?」

「私はこゆき。こっちの黒髪の子が玲子ちゃん。そしてあなたはブラン!よろしくね、ブラン!」

「クルモンは、今日からブランで〜すか?」

「そうよ、ブラン」

「クル!」

ブランと呼ばれた白い人形は、にこやかな笑顔で元気に返事をした。

 

 

 結局のところ吸い込まれるという噂自体はデマだったといっていいだろう。だが、今後はこう改めようか。『黒い鏡の中からは白い妖精の人形が現れる』と。扉を開けて、私達は廊下に出た。入っていたのはたったの十数分だけの筈なのに、何故か安心するのだ。明かりが点いている。聞き慣れた声がする。それだけで。暫く廊下を歩いていると、小百合先生が駆け寄ってきて、

「こゆきちゃん、こゆきちゃん」

何やらこゆきに用があるようだ。

「どうしたんですか?小百合先生」

「さっきのお客様ね、あなたを一目見たいって。それでね、あなたに良い暮らしをさせてあげたいんですって!」

「えっ……⁈私が、ですか……?」

彼女は驚き戸惑っている。

「そうよ、また来ると仰っていたわ」

「……こんな私が、お金持ちの人のところに⁈」

 


 空が朱色に染まりつつある頃のことだった。私は部下と一緒に目黒の旅館にいて、ベランダで煙草をふかしていた。柵の下わ、見下ろしてみると、自転車を漕いでいる中年男性や一人で石蹴りをしている小学生くらいの少年の姿が見える。その他にも、花柄のフリルのワンピースを着た若い婦人と、娘と思しき幼い少女。彼女も白くゆったりとしたワンピースを着ている。この二人は他所行きを着ているが、百貨店にでも向かっているのだろうか。少しだけこの母娘の足取りが気になりつつ、橙色にも黄色にも見える光の中へ戻った。客室の中は畳で、ベランダの近くには一対の一人がけのソファーと、低い円形のテーブルがある。それ以外には、部屋の端に押し入れがあり、角の方に収まるようにして四つ足のカラーテレビが置かれていた。ベッドという親切なモノはなく、押し入れの中にある褥を引っ張り出さなくては眠れないようだ。面倒事は全て奴に任せるとして、退屈な時間を潰す為、私は外へ行こうと部屋の扉を開けた。廊下に出ようとすると、部下の声が私を引き止め、

「どちらへ向かわれるのですか?」

「少し、風に当たりに行くだけだ」

「一時間後に階下の食堂で食事が振舞われるというのに、ですか?」

「……分かった。部屋で待つから」

 

 

 結局、私は部屋でテレビを観ることになった。いくつかチャンネルを回してみたものの、時間が時間だからだろうか、子供向けのアニメが目立つ。ニュース番組などが観たかった私は肩透かしを食らった。教育番組などもあったが、大人が観るものではないと感じる。仕方なく、私は公共放送の番組を観ることにした。邪魔なコマーシャルが入らないのはいいが、鮮やかな色彩で映し出されるアニメーションは明らかに小さな子供に向けたモノだったし、歌詞も綺麗事ばかり。丸みのあるフォントのテロップにはルビなどないものの、メインターゲットの子供達はそれでいいのかもしれない。

 

 

 五分。丁度とはいえないが、柱時計を見ると文字盤の「1」に長針が止まっている。コチコチと小さな音がして、嫌でも静寂を感じさせられている。私の目には、確かに鮮やかな『もう一つの世界』が見えるのに。私はテレビのスイッチを切り、部屋を出ようとした。行き先は化粧室。この旅館には一つひとつの客室に付いているわけではないからだ。廊下を早歩きで通り抜けると、やがて、「W.C」という表記のプレートに辿り着いた。特徴的なあのシンプルなマークはない。どうやら男女共用のようだ。淡い水色のタイルの壁をチラッと見遣ってみると、長方形の鏡があり、その下にはさして変わり映えのしない形の洗面器に、消波ブロック (テトラポット)を平面にしたような形のハンドルの蛇口が付いている。壁に沿って、ソレは三つ四つと続いているようだった。どの洗面器にも石鹸が付いているようだが、中には小さくなり、碌に使えなさそうなものもあった。全てが清潔感がありつつ面白みのない白だが、香りだけは良かった。所謂、「オーソドックスな石鹸の香り」というやつではあるが、日本人らしい奥ゆかしさが溢れている。我々が以前使っていたやつとは違う。

 

 

 思った以上に胃の調子が悪かったので、私は少し長く用を足してしまった。部屋へ戻ると、部下が布団を敷いて待っていた。

「この際ですから、語りませんか?」

「……あのなあ」

ソレ以前に、何故そこまでして寛げるのだ?恐らく手にしているのはゴシップ誌。娯楽に飢えている私にもソレを貸して欲しい。が、

「何故、今になって養子を取ろうと思ったのですか?」

私はその一言で我に返った。

「十四年振りの約束を果たす為だ」

「約束とは?」

「かつての部下が遺した忘れ形見をよろしく頼む、と」

私は、懐から一枚の写真を取り出し、目の前の男に見せた。白黒でこそあるが、髪の色は銀。眼の色がオリーブ色であることは私自身がよく覚えている。

「彼と同じ、銀の髪にオリーブ色の目をした子供がいると聞いてな」

「……その子を引き取りたい、と?」

「そうだ」

それを聞いた部下は苦笑いを返した。

 

 

 一階にある食堂に二人で向かうと、そこはある種の別世界だった。だが、そこに向けられた感情はどちらかといえば、「実家のような安心感」だろう。見渡す限りの蜜柑色。室内こそ和の一文字で表せるくらい趣ある内装だが、そこに分かりやすい華やかさはない。「慎ましやかな美」という概念 (モノ)が、この空間を支配していた。私達二人は後ろで黒い髪を一つの団子に纏めた中年の女中に案内され、障子が目の前にある席に座る事になった。その席は、座卓のすぐ下に青紫色の座布団が四つ用意され、卓の上には「お品書き」と筆で書かれたと思しき表紙のメニュー表らしきモノがある。

「何を頼むんだ?私はコレに決めている」

「ええと、私はコレとコレで」

 


 先程とは違う女中がやってきて、盆に載せた淹れたての緑茶を卓の上に優しい手つきで置いた。私達が二人が注文を伝えると、彼女は伝票らしき小さなバインダーにそれを記していく。そして、ぺこりと礼をして去っていった。彼女が去っていった、私達二人だけが部屋の中に残された。

「さて……」

「まだ夜には早いですが……」

『かんぱーい!』

私達は湯呑みを軽くぶつけ合った。

 

 

 この部屋はどうも高い身分の者を持て成す為にあるらしく、床の間には掛け軸が、違い棚には鶯が描かれた絵皿と、花器には小ぶりな花が生けてある。黄色いが、何の花なのかはわからない。野原に咲く花のようだが、道端で見かけた蒲公英よりも慎ましやかだ。それ以外に変わったところは特にない。私達は料理が運ばれてくるまで茶を飲みつつ、部下と談笑することにした。

「件の子供の捜索を部下達にさせたが、まさか未だにあの孤児院にいたとはな。もう少し遅くなると思っていた。それこそ、一年か二年くらいは致し方ないとも」

「……そうでしたか。して、その子はどういった目的で引き取るんですか?」

「……利用する為さ。表向きは部下との約束を果たしつつ、裏では餌にするんだ」

「ふふ……、あなたらしい……」

目の前で向かい合っている彼の笑顔は不気味な程穏やかなものだった。私は岩のような色の湯呑みに再び手を伸ばす。喉を通った緑茶は冷めてこそいたが、なんとなく優しい味がした。