「与える」って

 

自分もよくコースやクラスで使う言葉だけど

なんか傲慢だなぁって思うんです、いつも


※そして与えることが傲慢だと感じる自分は

傲慢だというループにハマる(苦)

 

 

「与える」ということは

自分はそれを持っていて

相手はそれを持っていないと思っているわけです

 

自分が持っていると思うことの傲慢さではなく

相手が持っていないと思うことの傲慢さ

 

 

持ってないんじゃなくて

持っていることを忘れているのだとしたら

 

与えるよりも必要なのは

「思い出してもらう」ことですよね

 

 

こっちの方がしっくりきます

思い出すのはその人自身ですし

 

 

思い出すことのサポートには「共鳴」が何より大切

 

 

奇跡のコースのワークブックに

 

「分かち合う

 与える

 教える

 伝える

 これらはどれも同じことです」

 

と書いてありました

 

 

「分かち合う」

 

同じものを双方が持っているからこそ共鳴できるので

共鳴した時点で分かち合っているということになります

 

 

「与える」よりも「教える」よりも

私にはこれが一番すんなりきます

 

 

与えることの本質はそういうことではないかなぁ

そうであれば

与えることの尊さは素晴らしいなと思うのです


※どうも私は与えることに関して

センシティブになってしまうのね

 

 

与える機会を与えてくださってありがとう

ホーリースピリット

 

 

 

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このように考えることの功罪は

文字通り与えないこと(苦笑)

 

 

何かのセミナーに参加した時など

 

休み時間に自分が持ってきたお菓子を

隣の人に「食べますか?」って声かけられない、とか

 

誰かがペンを忘れて困っているのを見つけた時

サッと貸してあげられない、とか

 

「与えていいのかな」って思っちゃうんですよね

 

 

(そんなことで傷ついたり怒ったりするくらい)

相手の心が弱いと思ってるわけだから

 

これまた傲慢だよ、とほほ