犬や猫を飼いたいのですが

室内で飼う気にどうしてもなれず実現していません

 

 

実家では常に犬も猫も飼っていました

 

ただ田舎で庭も広かったものだから

犬は当たり前のように外で飼ったいたし

猫も出入り自由(24時間開放している猫用窓があった)

 

彼らが庭で全力疾走したり

雀を捕まえたり

穴を掘って遊んでいる様子を知っていると

室内だけで生活させるのはなんとも忍びがたく

 

今の我が家の環境では

どうしても飼う気になれないのです

 

 

誰かに言われました

 

「最初から室内で飼っていれば

彼らにはそれが当たり前なんだから

外で生活できなくても苦ではないだろう

室内で飼われていて幸せな動物はたくさんいる」と

 

 

そうですそうです、私もそう思います

室内で飼われている動物が不幸なんてことはないと

 

私の勝手な思いを動物達に押し付けているだけだと

 

なのに!

 

頭では理解できても心がどうしても痛くて痛くて

 

 

あとは私の性格も大きいのかなと思います

 

もし私が犬だったら

外に出たくて出たくてしょうがなくて

 

可愛がってくれる飼い主への感謝や愛情以上に

外に出られない自分を不幸だと思ってしまいそうで

 

 

・・身勝手でごめんなさい・・ ←誰に謝るのか?

 

 

 

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今日は母の日

 

入院中の母のところへお見舞いに行ってきました

 

兄たちと4人で行って病室は賑やかになり

ベッドもお花で彩られ母は喜んでくれました

 

でも帰る時に非常に私の心が痛むんですよね(苦笑)

 

 

私も入院したことがあり

 

誰かがお見舞いに来てくれるととても嬉しい

でもまた一人になるととても不安で寂しくなる

 

だからって相手に

「寂しいから帰らないで」とは言いませんでしたが

そんな心境ではあったのです

 

 

母が同じ心境かどうかは分からないのに

母が寂しいんじゃないかと心が痛んで痛んで

 

私の勝手な思いを

相手に押し付けているだけかもしれないのにね

 

 

 

IMG_5131.jpg

 

自分が入院していた時お見舞いに来てくれた人に

「寂しいから帰らないで」とは言わなかった

 

それは自分にも相手にも

良い方法ではないと思っていたので

 

でも寂しかったのは事実

 

だから「我慢」していました

 

 

ホントは「我慢」という言葉だとちょっと違うかな

 

寂しさを乗り越えようと努力しました

 

相手に気持ち良く帰ってもらいたかったし

私自身も強くなりたかった

 

ただ当時は我慢以外の方法を見つけられませんでした

 

 

いまもスピリチュアルな探求をしているのは

 

そんなときに我慢する以外のもっと良い方法で

生きられるようになりたかったからです~

 

自分の感情を押し付けるのではなく

※一見それも思いやりに見えるけど実は違う

相手を(自分を)本当の意味で思いやるやり方で

 

 

・・・・・・・・・・

 

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