今日は1日図書館の地下室に引きこもり

倫理学のレポートの調べ物をしていた中

 

新約聖書の一文で胸がいっぱいになり

レポートどころじゃなくなってしまいました

 

その美しい一文が

そよ風のように心に入り込んで

 

しばらくの間

(本臭い中で、笑)

どこかに浮遊してしまいました

 

 

有名な一文らしいですね

 

「愛の讃歌」なんて

美しい呼び方まであるらしい

 

わたしもどこかで読んだことあると

思いましたが

 

アガペー

 

はわたしにとって

(特に奇跡のコースに出会ってから)

心引かれる

 

魂が求めずにはいられない

 

なにやらとなっています

 

 

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新約聖書 コリント人への手紙13章

 

たとえ人々の異言

天使たちの異言を語ろうとも

愛がなければ

わたしは騒がしいドラ、やかましいシンバル

 

たとえ預言する賜物をもち

あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも

たとえ山を動かすほどの

完全な信仰を持っていようとも

愛がなければ無に等しい

 

全財産を貧しい人のために使い尽くそうとも

誇ろうとして我が身を死に引き渡そうとも

愛がなければわたしに何の益もない

 

愛は忍耐強い

愛は情け深い

ねたまない

愛は自慢せず

高ぶらない

 

礼を失せず

自分の利益を求めず

苛立たず

恨みを抱かない

 

不義を喜ばず

真実を喜ぶ

 

すべてを忍び

すべてを信じ

すべてを望み

すべてに耐える

 

愛は決して滅びない

預言は廃れ

異言はやみ

知識は廃れよう

 

わたしたちの知識は一部分

預言も一部分だから

 

完全なものが来たときには

部分的なものは廃れよう

 

幼子だったとき

わたしは幼子のように話し

幼子のように思い

幼子のように考えていた

成人した今

幼子のことを棄てた

 

わたしたちは今は鏡におぼろに映ったものを見ている

だがそのときには

顔と顔を合わせてみることになる

わたしは今は一部しか知らなくとも

そのときにははっきり知られているように

はっきり知ることになる

 

それゆえ信仰と希望と愛

このみっつはいつまでも残る

その中で最も大いなるものは、愛である

 

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清らかだなぁ

 

これが敷居が高い感じはしなくて

身近なことに感じます

 

自分がとか誰がそうだというよりも

 

ただ、そうなんだなって

 

 

ちょうど夕べ

 

ACIMセミナーで

みんなで話してたことも思い出される

 

今思い返すと

なんて崇高なこと話してたのかしら(笑)

 

 

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以前

 

クリスチャンの洗礼を受けた親友に

「福音だ」

と聖書をもらいました

 

いつかちゃんと読んでみたい

 

 

こんなに

キリストに入れこんでるわりに

 

クリスチャンになる気は

全然ないんですよね

 

 

多分キリストさまにも

 

「別に俺んとこ来なくてもいいよ」

 

って言われてる気がするし

 

 

「聖☆おにいさん」止まりでいいの