ムフフ、My自転車

 

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今日はお勉強デーでしたので

これで図書館までチャリってみました

 

 

倫理学のレポートのために

「ユダヤ・キリスト教の倫理思想について」

調べていて

 

カミサマのいうことを守るという契約を

人間とかわすこと

 

※モーセの十戒が有名

 

その契約を約束するために動物を裂いてみせ

守らなければおまえもこうなるぞと

 

 

・・この辺まで調べたところでわたし

 

人間がカミサマに

契約を守ると約束させられたこと

 

守らなければ罰が与えられることまで

言われちゃうこと

 

そもそも契約などというものを交わすこと

 

カミサマは

そこまで人間を信用してないのかと

 

憤りを感じ始めました

 

 

ACIM の考えが気に入っている(笑)

私としては

 

契約があろうとなかろうと

契約を守ろうと破ろうと

 

エンディングは変わらないと思ってるので

 

 

無駄な殺生はいかがなものかとネ

 

 

(まだちょこっとだけど)

勉強してみて今思うのは

 

ユダヤ・キリスト教の倫理観は

 

超越的存在であるカミサマに

人間はひたすら従うことでしか

 

そうやって無私になることでしか

現世での幸福を得ることはない

 

イエスがその顕現した姿だということ

 

※なので十字架にかかっても別によかった

 

 

だとすれば

 

人間はその契約がどんなものであっても

それがどんなに厳しいものでも

 

そもそも厳しいもなにもない

 

ひたすら従うだけなのだから

 

 

オーラソーマでいう

 

「ジャッジをしない」

 

をユダヤ・キリスト教的倫理観に照らすと

こうなるのか

 

オーラソーマのレッドには

 

旧約聖書で

モーセの前に現れたカミサマが

「わたしはただ在るもの(I am)だ」

と語った

 

まさにそれ 超然 の質があるが

 

カミサマが人間に顕現したイエスキリストが

 

一切のジャッジなく

ただひたすらカミサマとの契約を守ったという

 

まさに 超然 を生きた存在で

 

だからB55のキリストは

クリア/レッドなのかと

 

 

・・などと

 

図書館の窓に沈む夕日を眺めながら

思うのでした