B54クリア/クリアのセラピスベイがいっぱい
うわぁ綺麗~
・・というのはエイプリルフールの嘘で
全部空ボトルです
昨日は晴れたのでコース中に
窓辺の陽射しで
去年の暮れ以降に使い終わった空ボトル11本を
洗って乾かしてました
11本ってことは
平均して月3本くらい使ってるのかな
※私は大体いつも
数本のボトルを同時進行で使っています
空きボトルを並べていて
死者の列みたいと思いました
亡くなった父のボトルって
今だったらこんなのかな~なんて
ボトルを塗るべき体を持たない存在
それはたしかに空っぽなのだけど
父が亡くなったとき
私が体験したのは
満ち足りた心と満ち足りた存在と
満ち足りた関係性でした
そこに色はない(もしくはすべての色がある)
光だけ
限りのなさと完全なる自由の感覚
父 という固有名詞的存在(色)はなくなり
すべて(光)になった
人間として体を持つ限りは
制限の中で生きています
すべての色は光の一部なので
特定の色として自分を認識している限り
一部を生きていることになる
これが制限を生む
「真の自由は死んで初めて体験できる」
って何かの本に書いてあったけど
そうなのかもね
「セラピスベイをソウルボトル(1本目)
とする人はいない」
と言うのは
そういうことなのだろうと思うのです
でも体がある限り
色の自分で良いのです
(乱暴な言葉ですが)どうせ色は光だし
今だって制限なんてない、十分自由だし(笑)
今の私の立場や状況
私の周りの人達
今までの経験からくる価値観
そういったものは
私の真の自由とは何の関係もない
・・と父の死が教えてくれた
あの体験を忘れないようにしたいものだ
空ボトルを並べながら
そんなことを思ったのでした
アマーリエでは
空ボトルのリサイクル回収を承っていますので
もしおうちにあったら
何かのついでにでもお持ちくださいネ
※空ボトルリサイクル活動については
こちら をご覧ください


