父が亡くなったことが

まったくショックでなかったのは


父自身が自分が逝くことを了承していたから



ボウイの死に

いまだまともに向き合えないのは


彼自身がまだ生きようとしていたから



わたしには


「願いが届かない」


ことがなにより辛いのです

(他人のそれを見ているのも辛い)



ならば「願わない」という

選択肢もありますが


・・でもね~それをしたら


なんのために生まれてきたんだ

という気がしてならない



スピリチュアルな学びをしていると


「必要なものは全て与えられている(恩寵)」


と言いますしそれはそうです


願うことと与えられることは常にセット


だから届かない願いなんて

本当はない



その幻想から覚めることに

チャレンジするために生まれてきた



だからこれからも願い続けます


願いが届いていることを見届けるために


見届けたいので




「願わずにいられない」


というこの感覚は譲れないというか


私の中で未だかつて

なにものにも犯されたことのない聖域で


※「一切の自己否定がない」という意味


真の私のアイデンティティがここにある



それを見つけていることには

心から感謝しています


つまり


真の自分はなにがあっても

傷つくことはないのだと知っていることに


それが私を支えてくれます、これからもきっと



多分父もボウイも


自分の内の聖域の在り処を知っていたと思うのです


そこを尊敬していました



ありがとうございます





それもまた手放しの旅