許したいと願っても
変えられるのはせいぜい
表向きの行動だけで
気持ちはなかなか
思うようには変わらない
結果、許した フリ をしてしまう
フリだと気付いてるのはまだ良い方で
多くの場合は
許していると思い込んで
なんかすっきりしないと感じながらも
そこには目をつぶり・・
・・そりゃあストレスがたまるよなぁ
奇跡のコース(ACIM)では
こう言うんです
許したい
というほんのわずかな
意欲さえあればいいって
ん?
許したいのよ、自分
ほんのわずかどころか
意欲満々よー
なのに フリ だけで
真に許せないのはどうしたこと?
はい、その解答は
「自分でやろうとしてるから」
でした
エゴの自分は
許したいけど許せない自分の
罪悪感にとどめようとするので
自分でやろうとする限りできません
ホーリースピリットにやってもらうのです
ホーリースピリットに
「どうか許せないという自分のエゴを
訂正してください」
とお願いする
するとホーリースピリットはあるとき
「もう許そう」
という思い(恩恵)を授けてくれます
そして心から許している自分に
変わるのですね
このACIMの
「ほんのわずかな意欲」というのが
先日まで大学の夜間講習で学んでいた
東方キリスト教の特徴と全く同じで
驚きました
東方キリスト教でも
ただ神に祈り
恩恵を待つだけではなく
人間の神に向かって前進しようという
意欲(エペクタシスと言う)が必要だ
何故なら神の恩恵は
この意欲と共に働くのであ~る
・・なんですって
昨日のブログの続きですが
天才バレリーナ・シルヴィギエムが
これに近いと書いたのは
彼女は自分の人生を
「常に前進している(Life in Progress)」
と言うのです
彼女はバレエの才能という恩恵を受け取り
それを十分に使い・エペクタシスしました
つまり
受け取ったもの(恩恵)を
生きて(前進する意欲)いる
引退も
あるときふいにそう思ったそうです
常に前進する意欲を持ち
あとはホーリースピリットに任せている彼女が
また受け取ったのかな?
踊ることを辞めても続くであろう
彼女のエペクタシスに
これからも注目したい
さらにこの考えって
オーラソーマの
アウトワード(行く旅)リターン(戻る旅)
にも近いと思うのよねぇ
アウトワードとリターンは
常に共にある
物質的に見れば
行きと帰りは同時に起き得ないけど
スピリットは
そんなことはないのです
意欲と恩恵
努力と才能
アウトワードとリターン
ああ・・なんかオリーブマゼンタな感じ