「愛の対極は恐れであるが

すべてを包みこむものに対極はない」


ACIMテキスト 序文より



・・を前提として


敢えて対極があるかのような

今日のブログタイトルですが



たとえば

このブログを書いているとき


本当は昨日のブログに書いた

感じる至上主義なんてないし


おとといのブログに書いた

赤い糸もないって思いながら


・・でも敢えて

あるかのように書いている時があります



嘘をついているつもりはないし

そこに矛盾も混乱もしてないけど、でも(笑)



すべてを包み込むものこそが

唯一の真実だとしても


現状わたしたち(のエゴ)は

そうとは捉えていないわけで


私は今わたしたちみんなが


愛と恐れの対極

すなわち分離という幻想から目覚める


プロセス


に大変興味があるので

そうすると


あるけどない、ないけどある


的な書き方になってしまうんです


※これも最初からそうであるものに

本当はプロセスなんてないと思いつつ

書いてるのだけど~



読む方がどう感じているかは

わからないけど


私としては

自分が感じていることをそのまま書こうとすると

常に副音声が必要な感じなんですよね


そうそう

いつも心に副音声もあるような感じよ



今思ったけど


そんな感じで書いてるから

自分のブロぐには上記のような

注釈が多いような気がする



ひとつのものを常に


愛として見

恐れとしても見

ひとつとして見る感覚もありつつ


そしてそんな自分を

観察(できてるかどうかわからないけど)

しているような感覚で


その観察日記が

ブログだったりコースだったりする


ちなみにこの感覚は楽しくて好きです



いつまでかわからないけど

もうしばらくは


同時通訳のように

愛と恐れの間を行ったり来たりしながら


※これも本当はどっちにも行かないんです



・・これで求められる自分を生きているだろうか?




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クライアントさんの3天使、綺麗でした