子供の頃から
病気の人の体や心の苦痛への
感情移入が激しいのか
辛くて傍に
いられなくなってしまいます
ウチは両親とも
医療従事者だったので
両親や両親以外にも
身近に医療従事者をたくさん見てきたし
今も父の長期入院にともなって
彼らを見る機会が多い中で
医療に携わる人たちを
心から尊敬することがひとつあります
あんなに病気の人の
身近にいながら
病気の人の苦しさに引き込まれず
健全な自分を保ち
むしろ病気の人を
自分の健全さに引き込むことができる
そのエネルギーがすごいって
自分にはあまり見つけられない
(と思ってる)質なんですよね
・・ホントのところはどうなんだろうか?
でも看護師だった母も
まさにそんな人で
今もよく病気の知人に対して
可哀想にねぇ
なんて泣いたりしているのですが
私のソレとは
何かが明らかに違う
母はそれでも泣いた後に
テレビ見て笑ったりしてるんですけど
私はそういうときは何見ても
笑うどころかいっそう虚しくなってしまう
母は基本
明るい側にいるようで
病気の人といる時も
明るい側から見ているのか
そして私は・・暗い側にいるのか
・・・と
以前は考えてたのですが
最近はちょっと
違う見方をしています
母のような人は
明るい側にいるというより
暗い側を恐れていないんじゃないかな
それだったら
(以前の私には
それもできなかっただろうが)
私にもできるかも
誰かの苦しみに引き込まれる
それはつまりは人の気持ちに
共感できるということよね
しかし
苦しみが幻想だということを
心から理解し始めている今
苦しみに共感しつつも
病気の人の背後にある
その人の本当の姿を見られる自分でありたい
医療従事者さんたちの
強さとはまた違うかもしれないけど
あの強さは
やっぱり私には無理だなー
まあ
医療従事者になりたいと
思ったことがない私ですので
そこは無理でもいいんだろう~
ところで
女性看護師さんが
老齢の患者さんに話しかけるとき
なんで子供に話しかけるような
言葉使いになるのかな?
※男性看護師さんはあまり言わないようだ
気難しいインテリだった父が
「よくできたね~」
なんて言われるのを聞いてると
父の気持ちに
(出た、共感の質)共感してしまい
笑いがこみ上げてきます(笑)
医療従事者の皆さま
お礼の言いようのないくらい
感謝しております
一生かけてもお返しできないほどの感謝を
皆さま自身のの健康と幸せな人生を
心から願っています