親(や誰か)の敷いたレールには乗らずに
ここまできました
親が開けてくれたドアに入るとは限らない
親に反発してたわけじゃないよ
ただ自分に従っていただけです
多分これからも
そうしてゆきそうな気がします
ただ
自分でドアを開けてたワケでもないんだなって
ACIMを学び始めて
最近特にそう思っています
自分で開けようとしてた時の方が
いろんなことが困難で
今日のACIMセミナーでそんな話がありました
ドアは開くもので
開いたドアの向こうが見えなくても
その中に入ったとき
人生の流れはいつもスムーズでした、そういえば
ドアの向こうで開けてくれるのは
「本当のわたし」とでも呼ぶべきものなので
開けてもらったドアに入る方がむしろ
自立
なんだよね
大抵ドアが開くとき
ドアの向こうは見えないものですが
せっかくだから中に飛び込んでみるとイイね
あ!ひとつ大事なことを
もし
開いたドアの前で立ち尽くしてても
絶対に怒られないから大丈夫
情けないなんて言われないし
置いてけぼりにもならない
わたしたには心の底で
親よりも誰よりも
自分を褒めて欲しい存在がいて
それにはもれなく褒めてもらえるから
関係ないけど
男性が
さっとドアを開けてくれたりするのもいいよね
※女性でも嬉しいが男性だとなお嬉しい(笑)