この週末はACIM(奇跡のコース)
香咲弥須子さんのセミナーを受けています
「幸福も不幸も(周囲ではなく)
すべて自分の心だけが作り出している」
ACIMに限らず
スピリチュアルな学びでは必ず言われること
誰かに傷つけられた時
それは相手の責任ではなく自分の心が
傷つけられたという思いを作り出しているだけ
・・・ということは・・・
自分が誰かを傷つけた時
(「あなたに傷つけられた」と誰かに言われた時)
それは自分の責任ではなく
相手が傷つけられたという思いを作り出しているだけ
どうでしょう?
少なくとも私は
前者の方が受けとめやすく
後者を受けとめる方が難しい(怖い)
そこでふと思いました
「そういえばカミサマって謝らないなぁ」
・・・それで思い出すことがあります
それは
私の中にいまだある古い古い思い
カミサマに願ってその願いがかなわなくて
カミサマを恨む気持ち
「あなたは願いをかなえてくれるって言ったのに
あなたのせいで私は傷ついたんだから
謝りなさいよ!」
でもどんなにカミサマに訴えても
・・・謝ってくれたことないよ(笑)
そりゃそうだ
神の世界にあるのは愛だけで
だから罪も罪悪感も存在しないのだもの
カミサマは私に恨まれることなんて怖くないし
傷つきもしない
カミサマの中は私への無条件の愛でいっぱいだから
そして
謝るまで許すもんかと意固地になっていた私が
願いをかなえてくれたなかったあのときも
愛されていたことを知り
(=願いがかなっていたことを知り)
ついにカミサマの愛に降参したとき
私の苦しみは癒されました
私が欲しかったのは
謝罪ではなく愛だったのですね
だからもし私が誰かに
「あなたに傷つけられた」と恨まれたら
恐れずに愛を返したい
何故なら
その人の恨みに隠れた真実はやはり愛であり
愛を欲しているということだと思うから
それがその人(と自分)が
「傷つく」
という幻想から目覚め
ひいては傷を癒す術だから
ホーリースピリット
私がすべての恐れに負けないように
助けてくださいな