ACIMレッスン323


~わたしは、喜んで恐れを「犠牲」にします~



わたしたちが人に対して唯一求めていいのは

「恐れの犠牲」だというこの一文


キリストを主語に私たちに向けて書かれているこのテキストの

主語を自分に置き換えてみました


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これが、わたしがAさんに求める唯一の犠牲です


わたしはあらゆる苦しみ、損失や悲しみの感覚

不安や疑念をすべて放棄し

わたしの愛が自由にAさんの意識の中に流れ込んで苦痛を癒し

わたし自身の永遠なる喜びを与えてもらうように

Aさんに求めています


これがわたしが神に求め神が喜んで奉げる犠牲であり

この世界の救いのために

わたしについての記憶が神に戻されるために支払う唯一の代償です


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恐れを犠牲にすることは愛(神)に戻ることなのですが


誰かに


「恐れを犠牲にしようよ、愛に戻ろうよ」


と求めるとき


大抵の場合抵抗されます


(それほど人は

知らず知らずのうちに恐れに支配され

知らず知らずのうちに恐れをアイデンティティとしているんですね)


それどころか


「あなたは酷い人だ」


なんて言われるかも



「何かを犠牲にしなさい」と誰かに求めるのは

勇気が要ることです



その点カミサマはいつでもわたしたちに

「恐れを犠牲にしなさい」と求めてくれます


※私も求められて抵抗することはあるけど

(まだまだ恐れがあるんだね)

そしたらひたすら自分の心を訂正するように努めます


カミサマはこれを求めることに勇気は必要ないみたい


強い愛だなぁ


カミサマは真実を知っているからなのでしょう


真実とは・・・



私がある人に求めていた「恐れの犠牲」が

もしかして報われるかもしれません


・・・報われなくてもいいんですけどね


というか、報われないなんてあり得ないと

私は知っています


真実は


恐れの犠牲とはエゴの手放しのことで


手放したとき「犠牲なんて存在しなかった」ことに

気づくだけなのですから




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レベル1コース中


生徒さん楽しんでくれてるかな、年末にありがとうございます