プラクティショナーアップデートの朝、講師の方から


「わからないことは恥ずかしいことじゃないから

どんどん聞いてくださいね」


「あとでこっそり質問にくる人もいるけど

できればみんなの前で質問し、解答をもらうことで

自分だけじゃなくみんなにも有意義なものをシェアできるんですよ」


との提案がありました。



そのとおり、と思います。


※そういうことを最初に伝えてくれたので、たくさんの参加者が

質問しやすくなり、より充実したアップデートになったと思います。

さすがだな~見習おうと思いました。



でもなかなか質問できない人がいるのもわかります。



ただ、私自身はみんなの前でも質問できる方です。


教えてくれたことに対して

自分でまだ充分な理解でないと感じることを講師に質問することは


「みんなもまだそこの理解が充分ではないだろう」


と、(ほとんど意識することすらないが)思っているからで。


その自分の思いは、何故か信頼できるんですよね。恐れがない。



自分の質(才能・ギフト)は

信頼するのが難しくないし、意識せずとも自然にやっていることとすれば。


私がみんなの前で質問するのが怖くないのは

「集合意識と繋がり、それを表現する」

というターコイズの私の質(才能・ギフト)であり。


それが私なりの世界に対する奉仕のあり方なのかなと思っています。



だから、みんなの前で質問するのが苦手ならそれでいいと思うの。


そういうのが得意な(私のような?)人が

代わりに聞いてくれるかもしれないし


ホントに聞きたければ、それでもきっと聞けるよ(笑)。



それを言うならわたしなんて。


具合の悪そうな人にサッと薬を差し出す奉仕とか。

空いたグラスにビールを注ぐ奉仕とか。

電車内で立っているお年寄りに席を譲る奉仕とか。


あああああ、難しい。。。



飲み会で隣の人のグラスが空いてたら、気づかないフリ。


電車内で前にお年寄りが立ってたら

次の駅で降りるフリで席を立つ。

で、見つからないようにこっそり車両を変えるのです

(なんでそんなめんどくさいことしてまで・・・涙)。


怖くて怖くてもう(笑)・・・これでも奉仕になる?


だからそういうことは、そういうのが得意な人に任せる。

それでいいかって、最近は自分を許してます。



そう思うと。


コース中に質問しない人の心の内を(勝手に)察して

なんか微笑ましくなる私です~。


青空ボトル


アップデート帰りにティーチャー友達と。


こういう人達との飲み会なら

空いたグラスにビール注げるんだけどな~くーー!