自分が誰かに罪悪感を持ってしまったり
被害者となって相手に罪悪感を持たせてしまうとき
常に同時にふたりとも十字架にかかっています。
どっちが先じゃなく、同時に。
ということは、十字架から降りるのも常に一緒。
二人同時に十字架の縄がほどける・・・
それが「奇跡」であり、だから
「奇跡は常に誰かと一緒に目撃するものだ」と言うのですが。
昨日、こんな具体例がありました。
わたしは自分のACIMの生徒さん(Tさん)から
香咲さんのセミナー会場で売っている瞑想用CDを頼まれていました。
Tさんはセミナーに行かれなかったので。
1日目にCDを買いましたが
帰宅してカバンを開けたらCDにヒビが入っていました。
(まずい、これじゃ渡せない)と思い、2日目にもう1枚購入しました。
(ヒビ入りの方は¥1000(定価¥2400)にでもして
好きな方を選んでもらおう。残ったのも誰かに売れるだろう)
という考えで。
で、昨日のアマーリエのACIMセミナーのとき
セミナーが始まる前にTさんに事情を話したところ、Tさんは
「先生いいですよ。私、ヒビのを¥2400で買いますよ。
私は事情が分かってるし、ヒビので全然かまわないので」
と言ってくれました。なんのこともなく。
その途端!私のエゴはビビーッと反応したのです!
Tさんに負い目(罪悪感)のあるわたし(のエゴ)としては
安く買ってくれないと困るわけです。
そうすることで下手したらTさんにも
(安く売ってもらっちゃって申し訳ない)
という罪悪感を持たせることになりかねないのに。
「ええ!?そんなの申しわけないよ。
じゃあせめてヒビのを¥1200でどう?」
みたいなワケわからんことまで言って(苦笑)。
結局私が折れて、TさんはヒビCDを¥2400で買ってくれたのですが
シツコク私ったら
「いいの?ごめんねごめんね」を繰り返してました。
その日はセミナー中に
(今日のブログ冒頭に書いた)十字架の話をシェアしました。
帰り際、誰だったか忘れちゃったけど
「さっきの先生とTさんのCDのやりとりって
先生がTさんを十字架にかけようとしてたってことですよね~」
と言われ、わたし初めてハッと気づいたのです。まさにそうだって!
で、すぐに自分の心を訂正しました。
Tさんに申し訳ないと思うのは止めることにしました。
・・・つまり、まとめるとこういうことです。
私は、ヒビCDを買ってきてしまったという負い目(罪悪感)を帳消しにするために
安くすると提案した(十字架に一緒にかかろうと提案した)。
それによってTさんにも罪悪感を持たせる(十字架にかかる)
可能性があるにもかかわらず。
しかしTさんはその誘いにのらなかった(さすがACIMやってるだけあるぅ、笑)。
それによって私も十字架にかからずに済んだのです
(Tさんに対する罪悪感を引きずらずに済んだ)。
十字架にかかるときも降りるときも、常に一緒。
ちなみに。
縄がこんがらがってほどけないときは
ホーリースピリットにほどいてくれるように頼むのです~。
香咲さんのセミナーで十字架の話のときに使われた画像。
Tさん今頃、ヒビCD聴いてるかな。
※こんなこと書ける時点でもう罪悪感はない