日頃、テレビの番組表をチェックしない

(だから見たい番組をしょっちゅう見逃す)私が


偶然にも同じ番組を(本放送、再放送)2回続けて見てしまったら。


しかもその内容がめっちゃくちゃ興味深いものだったら。



・・・そりゃあ「必然」だと思うでしょ。



ということで、書きます。



ソレを最初に見たのは(今調べたら)4月22日。


あ!松江から帰ってきた日の夜だ!・・・やはり必然・・・。


でね。ソレがあまりにも面白くてずっと覚えていたんです。


そしたらおとといの夜中に

テレビつけたまま本を読んでたら、急にソレが始まって。


(ナニコレ!?なんであの時のあの番組を今やってんの!?)


と、食い入るようにテレビを見てしまいました。



「ソレ」とは・・・


「スーパープレゼンテーション」。


放送局はNHKEテレ。 ← Eテレがなにかも知らない


アメリカのプレゼンイベントで、各界著名人が

「世界を変える」独創的なアイディアをプレゼンするという内容みたい。


私が見たのは「食べて、祈って、恋をして」の作者で

作家のエリザベス・ギルバートの回でした。


青空ボトル


彼女のプレゼンタイトルは「創造力の神秘を探る」。



以下、プレゼンの要約です(長くなりそう)。


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創造に苦悩はつきもの、と言う。


素晴らしい作品を生み出した後の虚無感や

またあのような作品を生み出せるかというプレッシャー。


思うような作品を生み出せない(いわゆるスランプ)ストレス。


クリエイターは一生これらの苦しみから逃れられないのか?



古代の人々は

「創造性は人間が生み出すのではなく、聖霊がもたらすもの」

と考えていた。


※ローマ人はこの聖霊のことを「ジーニアス(天才)」と呼んでいた


ところがルネッサンス期になって

世界の中心に人間が置かれるようになり

「創造性は人間が生み出すもの」と考えられるようになった。


芸術家の傍にジーニアスがいるのではなく

芸術家自身がジーニアスになったのである。


しかし人間は、神聖なる創造の源に自らがなるには繊細過ぎた。


ゆがんだエゴが過渡の期待・プレッシャーを作り

その後の芸術家を殺し続けることになる。



しかし、創造性が自分のものではなく

聖霊からの借り物だと思えれば、すべてが変わる。


それはどこかからやってきて

一時的に自分の人生に添えられ

終われば他のところへ行くものと考えられれば。



創造のプレッシャーに押しつぶされそうになったときは

ひるまないことが大切だ。


やることをやるだけ。書くのが仕事なら書くだけ。


そして聖霊が自分の努力に対し一瞬でも奇跡を見せてくれたらラッキー。


たとえ見せてくれなくとも書き続けるだけである。


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ホーリースピリットは

なんで私にこれを2回も見せたかったのか?


私は「創造性」においてデキが悪い生徒なんだろう(笑)。


デキが悪いというのは、創造の才能がないということではなく

「創造」の才能に生かされ、殺されてるとこが。



でも私はできれば生かされたいと願ってるので

これを2回も見せてくれたんですね。


悔しいけど(←エゴ、苦笑)ありがとう、ホーリースピリット。




それにしてもこの番組、めっちゃ面白そう。


しかも今調べたら来週の放送には

敬愛してやまない坂本龍一が出るじゃありませんか。


・・・間に合って良かった~。