サロン前の道。今日は爽やかな良いお天気でしたね。
罪と言えば、昨日のブログの続き
「罪悪感を持たない関係性」
について、いろいろ考える今日この頃です。
関係性の中で互いに罪悪感を持たないのは難しいですよね。
罪悪感ってちょっとしたことですぐに発生するから。
たとえばこんなこと。
来週の名古屋コンファレンス に行かれない友人
(仮にAさんとしましょう)から
記念グッズを頼まれました。
もしAさんが私に
「忙しいのに悪いんだけど」
という気持ちを持っていたらその時点で
Aさんは私に罪悪感を持っていることになります。
そしてもし私がそのとき
(本当は忙しいから断りたいけど
角が立つのもなんだから引き受けよう)
という気持ちで引き受けるならばその時点で
断れない自分に罪悪感を持つことになります。
ね。
これは事実ではなくたとえの話ですが
(頼まれたのは事実だけどお互いの気持ちの部分はたとえ)
自分の心をよく観察していると
日常の中でどれだけ私達はついつい
愛よりも罪悪感と恐れで生きているかがわかります。
事実はこんな単純なこと。
「友達が喜ぶ顔が見たいから、できるだけ買ってあげたい。
でも無理だったら買えなくてもしょうがない」
もっとシンプルに言えばこうですね。
「私はAさんが好き」
・・・だけのこと。
私たちの内には絶対なる愛の部分があって
そこはダイヤモンドのように生き生きと光り輝き
決して傷つけることも傷つけられることもない。
傷つかないから罪を感じることもない。
罪を感じないから不満や攻撃や防御も生まれない。
いつも開いていて満たされている。
そこの自分のことをACIMでは「キリスト」と呼んでいます。
※キリストには他の意味もありますが
オーラソーマではコーラルっぽいテーマ。
私たちが自分の、誰かの、物事の
キリストの部分を見つめそこで交わることができれば
グッズを買えた買えなかったに関わらず
私たちはこれからもずっと友達です。
傷つけたり傷つけられることに怯えることもなく
安心と信頼と優しさに包まれて。
それが本来のコーラルの関係性(相互依存)かなぁ。
私は来週から2週連続マイクのコースです。
たくさんのまだ見ぬ人達と交わるでしょう(交わるかな?)。
そんな時だからこそ
お互いの内なる決して傷つかない愛の部分に気づきをもって
そこで交わっていきたい。
しっかり足を地につけて。
こういう考えが
理想論ではなく現実なんだと身をもって体験したいのです。
体験すれば、それは現実だから。
で、みんなで「だよね~」って笑い合いたい。
ターコイズ/コーラルのコースと
ハートチャクラのコースを受けに行くってまさに・・・
自分のために。互いのために。世界のために。地球のために。
・・・人見知り発動しそうだけど。 ← ダメじゃん(笑)
木々に葉っぱが生えてきた。光に向かって伸びる伸びる。
お天道さんはいつでも罪のない顔をしているねぇ。