自分の決断や自分がしていることが


みんなにとっても最善のことなのか?


単なるわがままなのか?


・・・どうやって識別しますか?


私にとってこれは永遠の課題のよう。

今生を通していつも

この経験をする機会を与えてもらってる気がする。



今まで出会ったたくさんの師に毎回


「もっと自分を信じろ」とか

「もっとわがままでいい」とか言われ


「そうですか。ならば」

なんて調子に乗って?好きなようにした結果


素晴らしい!


経験もあったし、中には


非難ゴーゴー


のようなことも何度か経験しました(涙)。


何故そんなに違う結果になるのかは

自我(小さな自己)の決断か

スピリット(大いなる自己)の決断かによると思ってます。


ではどうすればそのふたつの自己の識別ができるのか?


いまわたしが考える最良の識別法は

「その決断に罪悪感がないかどうか」です。


※最近よく書いてることですが



ただ、奥が深いなと思うのは。


大いなる自己の決断だとしても

非難ゴーゴーになることもあるんだな~ということで。



昨日のブログの最後に

「相手の望む自分じゃなくても、逃げずに誠実に向き合う」

みたいなこと書いてますが。


相手が望む決断をしなかったとき

相手から非難されることもあるかもしれません。


でももしかしてそれは、スピリットのレベルでは

それを相手が望んでいるのかもしれません。


だとすればそこで起きている非難ゴーゴーは

みんなにとって最善のこと、ということになります。



「じゃあどうすればよいのさー」



だからサ。やっぱり


自分がどんな決断をしたとしても


誰がどんな決断をしたとしても


それによって今何が起きていようとも


・・・それがみんなにとって最善のことなんだと思えれば

いいのではないでしょうか(笑)。



そうなると決断そのものはさほど重要じゃないってことよね

(書いててどんどん自分が明晰になってきた)。


だからやっぱり「どっちでもいい」。


そして

その身軽さをもってあえていうなら

やはり人生において正しい決断をすることは重要ですので。


決断を見ている本当の自分がいて・・・

決断する自分を上手に使えるようになると良いね。



青空ボトル


自分の好きなように生きることは

単なるわがままではない!のです(笑)。


「我が人生に一片の悔いなし!」


※先日の「北斗の拳芸人」の影響が。

 ラオウの人生は最善?それとも単なるわがまま?