私は特定の宗教をもっていません。
が、興味はあります。
人が何かを信じずには生きられないこととか。
抗いがたい唯一の存在を認め
その存在の愛を求め
その存在の怒りに怯えることとか。
その唯一の存在を神様と呼ぶ。
唯一なのに
この世界にたくさんの宗教があるのは
それを受け取る私たちの受け取り方の違いの表れかと。
そんな風に思っています。
私もその唯一の存在を認めているにも関わらず
特定の宗教を持つ気がないのはもしかして
その「唯一」と「わたし」の間に何もはさまなくていいと考えてるのかしら?
・・・などと思ったりして。
私にとって神様とかスピリチュアリティは身近なものなんです。
隣のおにいさんみたいな。
私が神様を知らないだけかもしれませんが。
でもこの3年間
キリストからご招待を受けているとしか思えない時期を過ごしました。
※何度もブログに書いてる9のスターのイニシエーション
だとすれば、大変光栄に存じあげます(笑)。
ただそれが「洗礼を受ける」ということにはならないのよねぇ、やっぱり。
拒否じゃなくて、ただその必要性を感じないだけなのですが。
すでに内にあるキリストとともに生きる。
ね、だからやっぱり身近で普通なんです。
・・・誤解されないかな(汗)。
なんで急にこんなこと書いてるかというと、理由はありまして。
今、手元にある申込書がそんなことを考えさせるのです。
何に申し込むのかはまだ秘密。恥かしいから。
でもなんかやっぱり私、キリストに呼ばれてるなーって思う。
「聖☆おにいさん」ならキリストよりブッダのほうが好き~。