月の月2日・KIN243青い太陽の夜
GA B85(Lecabel) / HA B50(Ahaiah)
「ア・コース・イン・ミラクルズ(奇跡の学習コース)」という
本があります。
1970年代に、あるアメリカ人の女性がチャネリングによって受け取った
キリスト意識によるメッセージです。
スピリチュアルを探求する人にとっての原書みたいな感じでしょうか。
その本には、
本に書いてあることを実践しながら学ぶ為の実習本(ワークブック)もあります。
1日ひとつ課題をこなしていくだけなのですが
順番どおりに課題をやっていくことで
徐々に意識に変化を感じるようになってくるのですよね。
私は去年からそれを始めていますが
毎日やらずにとびとびでやっていました(不真面目で・・・苦)。
自分でもひとつずつちゃんと学べている気がしなかったので
13の月の暦の新年(7月26日)から、もう一度始めからやり直しています。
それは今のところイイ感じですすんでいます(笑)。
2回目だからなのか、前のときより深くにちゃんと入ってゆく感じがしています。
今朝「さて、今日の課題はなんだろう?」とページをめくって・・・ギクッ。
それは
「何をおいてもわたしは見たい」
というお題でした。
課題とは、この文言を今日1日とにかく繰り返し自分に言い聞かせていくのです。
数時間後には被災地に向けて出発します。
この今の状況からすると
何を見るって・・・被災地の今を見ることかと考えてしまいます。
今回行くことに決めたときは
「自分に少しでもできることがあるならしよう」が、一番の動機でした。
でもこの数日、やけに緊張感が高まっているのはこのことなのかと思いました。
私は「見る」ことを少し恐れているのかも知れません。
こういうとき、自分の弱さを痛感しますが~。
しかし、そのワークブックにはこうも書いてありました。
・・・何をおいてもわたしは見たいと言うとき
そこに何らかの犠牲が求められていると思うかもしれません。
もしそうであれば、次のように付け加えてください。
「見ることが、誰かに犠牲を求めることはありません」
もしそれでも失う恐れがあるようなら、さらに付け加えなさい。
「見ることは、ただ恩恵のみを与えてくれる」
・・・ここまで読んでものすごくほっとする自分がいました。
そうねそうね。
わたしが「見て」も何も失われるものはない。大丈夫。
それはむしろただ恩恵のみを与えてくれる。
なのでわたしはやっぱり「見て」きますね。
ザカリエルは今の日本のためのボトルともいう。