今日の勉強会で

先日受けたとあるオーラソーマのコースがとても良かったという

生徒さんのシェアがありました。


特にみんなで瞑想するのがとても良かったと。


そのとき私は

「オーラソーマのコースを受けてると「受容的」になるんだよね~」

なんて自分で言いながら、はっとしました。


だから個性的な人が多いのか。



自分を受容し始めると

みんながほんわか穏やかになるわけじゃないのよ。


「ありのままの自分でいられるようになる」

と、つまり

どんどんみんな自分らしくなってくるのです。


だから活発な人はよりその人らしく活発に。

おとなしい人はよりその人らしくおとなしく。



個性がはっきりしてきます。



そして自分を受容し始めると他人を受容し始めるので

誰かがどんなに活発でもおとなしくても

その人のそのままを受容しているから

別に不快感のようなものはないのですよね。



何故、自分を受容できると他人を受容できるのか。



私が思うに。


自分を受容するとか誰かを受容するとかじゃなくて

「受容する」とき

その時点ですべてを受容しているのです。



ちなみに私は。


自分を受容し始めたら

どんどん協調性のない人間になりました(・・・と、思う)。


小学生の通信簿ではずっと「協調性がある」と書かれていたけど

それは私のある種の器用さと自己否定からきていたもので

自己受容するにつれ

人と同じじゃなくてもいいと思えるようになり

自分のしたいようにするようになりました。


そして「変わり者」と呼ばれるようになりました

(それはそれで傷付いたけどサ、涙)。


で、今に至る。