太陽の月28日・KIN100黄色い太陽の太陽
GA B84(Sitael) / HA B67(Mebahel)
福島で被災したオーラソーマプラクティショナーさんの求めに応じて
オーラソーマプロダクツを被災地に送ろうという
有志のプロジェクトに私も賛同しました。
私はプロダクツそのものを集めるのではなく、
寄付金という形で自分の生徒さんからまず寄付金を集め
それで現地が希望するプロダクツを購入して送りました。
さきほどその方と電話で話し
今日こちらからの荷物が届いて、明日から配布を始めるそうです。
寄付金をいただいた方(アマーリエの卒業生の方)には
自分が寄付したお金が実際にどうなったか知らせるべきだと思うので
後日メルマガ内でご報告いたします。
実は私がこのプロジェクトに賛同した時
生徒さんから寄付金をつのることを最初は迷いました。
「本当にオーラソーマ製品を現地の人に使ってもらえるのか?」
「ちゃんと配れるのか?」
・・・を考えた時
(私一人が寄付するのはかまわないけど)
生徒さんを巻き込んで
ちゃんと責任取れるのか?・・・と。
その辺が曖昧なまま寄付をつのって良いのだろうか?・・・と。
私は現地のプラクティショナーさんと
直接顔見知りではなかったこともありました。
・・・でも、寄付金をつのることに決めました。
「意識が現実を創る」・・・本当にそのとおりです。
ならば
「オーラソーマ製品が行くべき人のところにちゃんと届いて
有効に使われる」というお膳立て(現実)がととのったから
寄付金をつのるのではなく
寄付金をつのりそして購入したプロダクツが
「行くべき人のところに届いて有効に使われている」
という意識がその現実を創るのです。
つまり
「届くかどうか」よりも「届けるんだ」という意識。
ただ実際に届けるのは
私ではなく現地のプラクティショナーさんです。
しかも私は彼女を知りません。
・・・でも、信頼できるという直感がありました。
「直感で決めていいのかよ!」という自分つっこみもあったけど
それは一瞬で引っ込みました。
何故なら次に私は自分の内側に聞いたのです。
「私がやろうとしていることは
大いなる意志に逆らってはいませんか?」と。
そのときはっきりとGOサインが出たという確信があって。
私は大いなる意志と被災地のプラクティショナーさんと
自分と自分やオーラソーマを信頼して寄付してくれる生徒さんを
信頼することにしました。
そして寄付を開始したのです。
なんか長くなっちゃったけどそういう経緯がありました。
ただね。
今日初めて、被災地のプラクティショナーさんご本人と
電話で話せたのですが。
涙が止まらんのですよ。
感動じゃない。苦しくて涙が止まらない。
届いたプロダクツは明日から早速配るそうです。
一刻も早いほうが良い。
直接話して初めて知る緊迫した現実。
「本当にオーラソーマ製品を現地の人に使ってもらえるのか?」
「ちゃんと配れるのか?」
などと考えていた自分は甘かった。
そのように考えていた私より
現地の彼女のほうがよほど地に足が着いていました。
オーラソーマ製品は行くべき人のところにちゃんと届いて
有効に使われます。
そういう現実を彼女は間違いなく創り出します。
それがグランディングしているということ。
「創れるかどうか」なんて考えてるレベルではなかったのです。
・・・悔しい。
また私はカミサマを憎んでしまいそうです。
・・・いや、でも今回はそうはしない。
カミサマを憎むことはもうしない。
誰のことも憎まないって決めたんだよ、自分。