倍音の月25日・KIN245赤いスペクトルの蛇
最近クリスチャンの洗礼を受けた幼馴染は、今回の私のブログを読みこう言ってくれました。
「友(=私)が貴方(=カミサマ)へ通ずる扉をとうとう開けるまでに導いて下さいました。一人の迷える子羊が、貴方の下にたどり着きました」
私は広島の街を彷徨っているときに懐かしい教会の前にたどり着き、導かれるように仕事のスケジュールが整い、ある朝のミサに出ることがでました。
生まれて初めてのミサで勝手が分からなかった人見知りの私(笑)は、15人ほどが座っている小聖堂の一番後ろの席に座りました。隣にはおじいさんが座っていました。
他の方たちは慣れているのか、何も見ずに賛美歌を歌ったり神父さんの祈りに続いたりしていて、私は分からないからただそれを聴いていたのですが、隣のおじいさんが私の様子に気づき、持っていた本を差し出して「(今ここをやっているんだよ)」と、今唱えているページを開いて見せてくれました。
ミサは40分ほどで終了し、私はおじいさんに本を返して「ありがとうございました」と席を立とうとしたとき、おじいさんに「あなたは何故ミサに出ようと思ったんですか?」と聞かれました。
私が今この場所に座っているに至る長い長い物語を何処から話せばよいのか分からず、でもきっとこの人は分かってくれるだろうと感じたので「呼ばれました」と言いました。
「神に導かれたんですね」
そしておじいさんは自分が洗礼を受けるまでの物語を話して聞かせてくれました。
不自由そうな左手。杖。悲しみに満ちた顔。
おじいさんは、自分で何とかしようともがくことを止めて神にすべてを委ねることで、今自分はとても幸せだと言いました。
答えが見出せない時、何かの状況を前にして恐れや苦しみがあるとき「こんな時神様だったらどうするだろう」と問うそうです。
そして願うと答えがやってくると。
おじいさんの顔は悲しみに満ちていたけど安らいでいました。
私はクリスチャンになる予定は今のところありません。
ただ「自分以上の存在」の前にひれ伏す時がいよいよ近づいているのかな・・・と感じます。
ここのところ続く偶然の導きによって、友人の言うとおり「カミサマへ通じる扉の前」まで連れてきてもらったみたいだし。
なんなんでしょう、この感覚。
これは、私が去年くらいから言ってる「超越した自己」への扉とも言えるかもしれません。
今回の広島への旅の行きのゲートは「11」。帰りは「5」でした。
そして今気になって仕方ないのは101番です。101は元々よく選ぶボトルですが、なんか今はそういうことらしい。
「エデンに帰る」
これは私が7月頃盛んに言ってた「故郷へ帰ろう・私が連れて行ってあげる」キャンペーンと同じことかもしれません(笑)。
その頃作ったツインソウルリングの刻印も「美しき故郷」。
そうそう、ツインソウル、これはすごいです。
日が経つに連れてこれの威力をまざまざと感じています。ぐいーーーっと引っ張られる。
今回の一連のパワフルな導きの流れも、これの影響が間違いなくあると感じています。じゃなきゃこんなに急流にはならなかったはず。
12日に開くセミナーにキャンセルが出たので、ご希望の方はご連絡くださいませ(宣伝・・・笑)。
ある種の自己破壊。自己放棄。自己損失。
でも塔が崩れ落ちた噴煙の向こうには、ミカエルがいるのです(リターンジャ-ニー)。
ああ、あと少しカミサマ、どうか私にあと少しの力をください。
天使合唱団