自己存在の月19日・KIN211青い電気の猿



青空ボトル


ゴールデンリトリバーの毛並みみたい。

(ちなみに我が家の愛犬・ジロウはラブラドールなのでこんなんじゃない)


青空ボトル

青空ボトル

ススキとハイタッチしながら歩けます。


・・・もうススキは飽きましたか。私はまだ全然飽きてないんです~(笑)。

ああ、また行きたい。



タイトルの満天の星の写真はありません、あしからず。


泊まった日の夜、お部屋の露天風呂で灯りを消して真っ暗な中、かなり長いこと満天の星を眺めていました。

御蔵島以来の天の川もばっちりで、降ってきそうなくらい間近でした。

プレアデスもシリウスも見えたよ(笑)。


この日は昼も夜も、そこにいると自分がなにかとてつもなく大きなものに抱かれているような感覚がはっきりとありました。


昼間の青い空も夜の蒼い空もそれは同じで、果てしなく広がる「空という何もない空間」が、「すべて」なんだなぁと。


その何もない空間には直接触れることができません。何もないから。

それがもどかしくて私は、地べたに寝転んだり裸でお湯に浸かったりしてたんだと思います。

そうして大地に近づき大地に触れ大地を感じることが、かえって空(何もない空間である「すべて」)を感じ近づくための、人間である自分にできる手段だと思っていたのかなぁ。


でもそんな気がします。


先日のブログにも書いたけど、とにかく一体化したかったのよ(笑)。

地上と、そして空であるすべてと。


あ!てことは、地上が「すべて」へのポータルってこと!?そうなのかな、わかんないな。まだ。でもそんな気がする(笑)。


「一体化したいなんて思わなくても、一度も離れた事はないんだよ」というのも分かるけど、でもやっぱりああいう場所に実際に行くと、自分の内側と外側の垣根を越える感覚を、より強烈に体験できます。


垣根は幻想だってことを。



・・・とにかく無性に一体化したくなった私は、ススキ野原の遊歩道の垣根を越えて茂みに入っていきました。

しかし一歩足を踏み入れた瞬間、踏んだところからテラコッタ色のトカゲがわーーーっと出てきてぎゃーーーっと叫んで逃げた・・・。


そう!夜は夜でサー(今、思い出した)。

露天風呂は湯加減も丁度良くてのぼせもせずに長湯してたんだけど、急に熱いお湯がどぼどぼ流れこみ始めて、それでも居たかったから我慢してたけどユデダコ寸前までいって泣く泣くお風呂を上がりました(涙)。

五右衛門じゃないんだからー。


と、現実はそんなもんで一体化どころじゃない場面もありつつ、でもやっぱり一体化です。

忘れないようにしたいな、この感覚。

すべての理解を超えた平和の感覚。


「私たちは大海の一滴の雫なのです」 by ヴィッキー・ウォール