自己存在の月14日・KIN206白いスペクトルの世界の橋渡し


「自己犠牲ねぇ」・・・と。


誰かの為に自分が死ぬのが自己犠牲ならば、誰かの為に自分が生きるのもまた自己犠牲。



文字通り死ぬほど苦しかった時期になんで私が死ななかったかというと、一番の理由は親を苦しめたくなかったからです。

それが耐え抜く為の原動力になりました。


カッコつけた言い方をすれば、親が苦しむよりは自分が苦しんだ方が良いと思ったのです。


でもそれって、自分だけで引き起こす苦しみより、(親という)自分が愛する人が自分によって苦しむという自分の苦しみの方が苦しいからだと考えれば、結局自分の苦しみから逃れたかっただけなのかもしれないけど。


ややこしい。「苦しい苦しい」連呼してすみません。



メタトロンを使っていると、愛とか死とか生々しいことで揺り動かされる。


昨日のブログに書いた私の右斜め前方を歩くメタトロンの後姿は「テルマエ・ロマエ」のルシウスなのです(笑)。 ←またしても漫画の例えでスミマセン



よくよく考えてみればすでに私は親にたくさん心配かけてるなぁとも思います。

子供の頃の私は内気過ぎて、親からすると私がちゃんと大人になれるか相当心配だったらしいし。


あとは例えば


・停学処分になったり

・学校に行かなかったり

・病気になったり

・風来坊と結婚したり

・社長になったり


とかね。



でも多分ウチの親は幸せものですよ。だって子供達に感謝されてるからね。

そして子供達も幸せ。親に心配されてるから。