電気の月28日・KIN192黄色い惑星の人


昨日のブログのタイトルと内容が一致してませんでしたね、失礼致しました。


生と死についてとか恋愛と結婚についてとか、メタトロンとワークし始めてから、形而上的なようで同時にとても俗っぽく生々しいことについて、考えさせられたり体験させられたりしています。



・・・結婚もさー。


何故か私は生まれてこのかた、結婚観について一度も考えがブレたことがありません。

なんとなく・でも確かに自分の内側に結婚というものに対しての確信があるのです。


結論から言えば「別に結婚とかしてなくてもいいんじゃないかな~」です。


ただ歴史上、長く同じ制度が続いているケースは少ない中で、結婚という制度が延々と続いているということは、やはり結婚にはなんらかの必要性やメリットがあるのでしょう。それも私なりに分かります。


結婚が必要になってくるケースは、「結婚によって政治的・経済的に双方の「家」にメリットがあるとき」だと思います。

跡継ぎが必要だとか経済的援助とか・・・当人同志の個人的意志(愛情とか)ではなく「家」。


・・・であれば、結婚という契約が必要なのも分かるなぁ・・・ていうか必要だよ。


なので「結婚してなくてもいいんじゃないかな~」は、家同士の利害関係ではなく個人同士の愛情に基づく結婚に限り、特に必要ないんじゃないかな~と思うのです。


でも現代の結婚はほとんどがそっちだよね。


個人的には、双方の愛情があればそれでいいのではないかと思うのですが・・・どうなんだろうか。

お互いを助け合い支えあいながら生きてゆくことを約束するのに、なんで結婚が必要なのか?

ゆびきりげんまんでも充分だと思うんだけど。

それでも続く二人は続くし、続かない二人は続かないし。


結婚することで、もっと大事なものを見失わないようにしましょうね。



ただ、自分が結婚してよかったと思うこともあります。一番そう思うのは、親孝行できたことです。


ウチの親は私とは違う結婚観を持っています。結婚=一生安泰・・・とまでは思ってないみたいだけど、でもやはりどこかでそう願ってくれてはいます。

娘よりは自分たちの方が先にいなくなるだろうから、その後娘を任せられる(と信じている)人間がいることは親にとっては安心だろうな。

なので、親を安心させてあげられたという点では結婚してよかったなと思う。



私がだんなさんから受け取っているギフトはたくさんあると思います。

でもそこに「結婚しているから」がどのくらい影響しているのかは・・・どうなんでしょうか。


「結婚」の奥にある本質を見失わないようにしながら、感謝の気持ちは忘れないようにしないといけないと、自分に言い聞かせている今日この頃です(つい忘れるので、汗)。