電気の月23日・KIN187青い倍音の手


今日会った人の話しを聞いていて、そして昨日で終了したPPSコースを体験して感じたこと。



あるところに、枠に収まりきれなくて苦しんでいる人がいました。仮にタケシくんとしましょうか。

そして枠からはみ出せなくて苦しんでいる人もいました。仮にマサルくんとしましょう。


もしタケシくんが枠に収まりきれない自分を肯定していたら、きっとマサルくんに枠からはみ出すことの素晴らしさを教えてあげられたでしょう。そしてマサルくんは枠からはみ出せない苦しみから脱出できるでしょう。


でもタケシくんがはみ出す自分を否定していたら、マサルくんが枠からはみ出すことの助けはできないでしょう。「枠からはみ出すな!はみ出してもロクなことがないぞ」と教えているでしょう。

だからふたりとも苦しいまま。


これは逆もありきで、もしマサルくんが枠に収まる自分を肯定していたら、きっとタケシくんに枠に収まることの素晴らしさを教えてあげられたでしょう。そしてタケシくんは枠に収まれない苦しみから脱出できるでしょう。


でもマサルくんが収まる自分を否定していたら、タケシくんが枠に収まることの助けはできないでしょう。。「枠に収まるな!収まってもロクなことがないぞ」と教えているでしょう。

だからふたりとも苦しいまま。



タケシくんにすれば、枠に収まれないのが自分ならば、そんな自分を肯定することは自分が楽になるだけじゃなくて、そうなりたいのになれなくて苦しんでいる人を助けることに繋がるんだよな、きっと。


マサルくんも然り。


そう考えれば、スポーツの才能とか芸術の才能がなくても、自分の個性がすでに才能(ギフト)なんだと。


そしてすべての人になんらかの個性がある以上、ちゃんと世界に貢献できるだけの才能(ギフト)を持っていない人もいないんだよね。


そうなるとやるべきことは、


・自分を肯定すること


だけってことか!?簡単だなー(笑)。