時間をはずした日・KIN108黄色い自己存在の星


今日は「時間をはずした日」。今年でも来年でもない1日です。


耳の奥の方でスーーーーーという音無き音が聞こえてきます。鳴り止むことがありません。


なんだろう?これが時間をはずした日なの?この静けさ。


時間をはずした日をもう何度も経験してるけど、こういう感覚は初めてです。

今日も昼間コースでした。いつもの日常。でもひたすら耳の奥では・・・


スーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


・・・という静寂が続いています。銀河の活性化の正門が開いてるっていうのも影響してる気がしますが。


耳鳴りじゃないよ(笑)。



コース中に生徒さんがワークしている最中に、ふと「二極性」という言葉が浮かびました(生徒さんのワーク中って、自分はもちろん集中しつつも物理的には何もしていないので、けっこうインスピレーションを受け取りやすいみたい)。


自分が両極をいったりきたりしている画が浮かび、そのどちらでもありどちらでもなくそれらが統合されては離れてゆく。

その両方を同時に体験している私、どちらかではなく両方に同時に在る私がとても心地良く、そのときそれが真実なんだと思いました。


「極というものはある。でも、ない」


みたいな。


「どっちにでも行ける」「どうにでもなれる」というポジションが自分には心地良いんだろうな。



好きなように生きること。自由に自分の生きたいように生きること。


素晴らしいじゃないですか!そこに同時に、他者に対する思いやりや敬意があればネ。


自分が自由に生きるために他者を否定しなくてはいけないなら、それはホントは自由に生きてないってこと。

そして他者を自由にする為に自分を否定しなくてはいけないなら、それはホントはその人を自由にしてあげられてないのサ。何故なら・・・・



あー、なんか野暮なこと言ってる。


今も「スーーーーー」は聞こえてるのに、なに野暮なこと言ってるんだ。


おなかすいてきたから帰ろ。


ではまた来年(=明日)会いましょう。寝苦しい夜が続きますが、ぐっすり眠って良い夢を。夢で会えたらいいねぇ。