宇宙の月17日・KIN96黄色い倍音の戦士
今日と明日の2日間、シュタイナーと彼の唱えた理論・その中でも特に宝石についてのセミナーに参加しています。
ああ、面白い。
オーラソーマの思想とも繋がる神秘思想家シュタイナー。
1861年、今のドイツ生まれの人智学者・神秘学者である彼について、私は全然詳しいわけではありませんが、時代の中でぴょこんと突出して生まれてしまった異分子的な印象があります。
何故なら彼が提唱したことは、当時ならばそれこそこっそり人目をしのんでやらなければいけなさそうなものだと思うのです。そうでないと迫害されそうな(実際、ナチスに暗殺されそうになったことも何度かあったそうです)。
でも彼は人目を忍ぶことなく、多くの人にそこまで迫害されない(できたかな?)やり方で、神秘を伝えました。
神秘とは「自分とは何か?人間とは?生きるとは?世界とは?宇宙とは?神とは?」。
今でも、オーラソーマをやっていることをあまり人に言えないという人もいますよね。
スピリチュアルとか霊的な探求とか輪廻転生とか魂とか言うと、まゆをひそめてしまう人は確かにいますし。
誰だって迫害されたくはないですよね。
それは今の時代でも同じだと思います。
何故か私は、自分が霊的な探求をしていること・輪廻転生や魂のことを人に言えないということはありません。
人に信じさせようとも思っていないですし、人が信じてくれなくても別にいいです(笑)。
まゆをひそめられたことは何度かあるけど、そういう人もいるだろうしそれはそれでいいと思うだけでした。
私の身近な人たちは、むしろそういうことには興味を示さない人がほとんどですが、私の探求していることについて別に心配もされないし否定もされていません、ありがたいことです。
多分、霊性を探求している私・・・とはいっても、彼らと全く同じようにご飯を食べ悩み笑い日々を生きてることが、彼らにも伝わっているんだと思います。
シュタイナーの言う「神秘」、つまり「神なる存在」とは私が思うに、どんなにそれを明らかにしようとしてもできないことなのではないかと思います。
何故ならそれは外なる世界にはないからです。目に見える形でそれが顕現する事はこれからも決してないと思います。
すべての人はそれを自分の内なる世界に見つけなければいけません。
つまり、もうその時点でそれは「神秘」なわけです。わざわざ隠さなくても。
だから、あえて「神秘」を隠す必要はないと思うのですよ。迫害を恐れてこそこそ探求しなくてもいいのよ、きっと。こそこそするからかえってヘンなもの(人)だと思われるってのもあると思うのですよ~。
隠さなくたってどうせ見つけられないんだからサ。自分の外側の世界にはね。