南三陸、気仙沼と、海岸線を走っていると
目に入ってくるのは、津波で流された何もない土地だけで
所々に、残骸が残っているだけで、何もありません
良く見ると、家の基礎だけが残っていたり
看板だけが残っているだけで
建て物も、駅も、何もない土地が広がっています
何もない基礎だけを見ていると、あの日までは
そこに毎日の暮らしがあったのだと、
胸が痛くなります
あれから4年が経って、もっと復興が進んでいるかと思っていました
でも、現実に目の前にすると、ほとんど何も変わっていないような気がします
土地をかさ上げする工事が、部分的には進んでいますけれど
何も無くなった土地は、あの日のままのように思えます
かさ上げ工事も、10mちょっと位の高さしかなく
これで、もし万一、あの日と同じ地震が起きたら
大丈夫なのだろうかと、不安になりました
電車の線路は、海岸沿いを通っていることもあって
ほとんどが流されて、無くなっています
駅の看板だけがあっても、そこに駅はありません
海岸沿いの道を走っていると
ここから、過去の津波浸水域、という表示が頻繁に出て来ます
しばらく走ると、浸水域ここまでと言う表示で、終わるのですけれど
少し走ると、
又、ここから過去の津波浸水域、という看板が出て来ます
海岸沿いの地域の多くが、津波浸水域に入っていて
海に近い低い地域は、建物はほとんどありません
一面何もない土地が続き、
赤土が運び込まれて、所々が高くなっています
そこにあるのは、仮設の建物だけです
それは工事関係で、使っているようです
海岸沿いの道を走って行くと

電車の線路が無くなっているところが、見えて来ます


海側を見ると

建て物の骨組みだけが、残っています

この辺りは、地盤沈下したので
海の中に、1戸だけ建物がぽつんと残っています

綺麗な海ですけれど

足元を見ると、道路がえぐれていてあの日のままです
ガードレールも、無くなったままです

ここから右下には、海岸に降りられる道があるのですけれど
今だに、道路が崩れて危険なので、通行止めになっています
こうして歩いてみると、線路が無くなっていたり、
建物が無くなって、基礎だけが無残に残っているだけで
何もない土地が広がっています
3年経った今でも、
まだ、ほとんど復興は、思うように進んでいないように感じました
今回津波の跡を見て
胸が痛くなり、とても深い悲しみに襲われました
お亡くなりになられた方々の、ご冥福をお祈り致しますと共に
いまだに行方不明の方々の、平安をお祈りさせて頂きます