清里は、この所氷点下10度以下が続いて、つららが育ってきました
1階の浴室前

こちらは、2階の屋根から伸びています

今日は、私のお誕生日なので、つららの成長ではなく
私の成長の思い出を、少し書かせて頂きたいと思います
私は、1月18日、寒い朝に神田の病院で生まれました
「江戸っ子だってね」、「神田の生まれよ」
等と言いますが、本当の江戸っ子は、親子3代東京なので、私は違います
父親は、和歌山の人で、ジャズピアノで生計を立てたかったそうですけれど
家族を養う為に、安定した音楽の教師と言う道を選んだようです、(気の毒に)
クラシックはほとんど弾かず、ラ・クンパルシータが好きで良く弾いていたのを覚えています
一人っ子で、両親と3人暮らしでした
母方の祖父は、実家のとても裕福な時に育ったので、苦労が無く遊び人でした
一時は豪勢な暮らしをしていましたけれど、保証人になったのが元で、全て失くして
一時的に我が家に住んでいる時期がありました
とっても優しいおじいちゃんで、可愛がって貰っていたので、大好きでした
父はお酒が大好きで、早死にして、母親と二人での暮らしが長かったのです
母親とは、よく喧嘩をして、いじわるもしました
居なくなって思うのは、無償の愛をそそいでくれるのは、親しかいないと言う事です
何の見返りも求めず、何があっても、自分を愛してくれるのは、親だと
わがままな私は、母が生きている時には判らなかった
母親は、血清肝炎から、肝硬変、肝がんへと、人生の半分以上を病気と闘ってきました
そんな、母親に対して、思いやりが欠けていた
最後の1年間は、病院が嫌いな母親を、自宅で看護し見送りました
その時に、温泉が大好きな母親を、沢山温泉に連れて行けたのが、自分への慰めに。。。
学生生活では、高校の時が1番楽しかったように感じます
高校の同級生には信頼出来る人が居て、今でも仲良くしています
大学は、遊びにいったようなもので、授業は程々に、その他を楽しんでいました
必修科目は、代返(他の人が私の代わりに返事をする)を頼んだりしてました
私のクラスは、女子が8人しかいなかったので、ばれてたと思いますけれど。。。
結構楽しい学生生活を送っていました
当時流行っていたミスコンに入賞したのがきっかけで、モデルを始めたり
でも、女性が芸能活動をする難しさを、改めて感じました
兎に角お誘いが多いのです
全て断っていると、良い仕事は来ません
そんな世界が嫌になって、2年位で止めてしまいました
でも、その間に、普通では味わえない特殊な経験が出来て、それは楽しかったです
そして、卒業が決まると、真面目に就職活動を始めました
その甲斐あって、大手の重電機メーカーの秘書課に就職が決まりました
今迄とは全然違った生活に、気持ちが引き締まる思いがした事を覚えています
長々と、摂りとめなく書いてしまいました
また、機会が、ありましたら、続きを書かせて頂くかもしれません
お読み頂いて、ありがとうございました