14才 甲戌 デビュー

歌手 になり脇役ばかりの日々

転機、演出家 菊田一夫〔1908年3月1日生まれ〕さんとの出会い、


1961 41才で舞台「放浪期」主役。脇役としての地道な活動から脚光を浴びる。

「時間ですよ」で日本のお母さんとして、親しまれるようになる。

1984年11月、紫綬褒章を授与


 



やはり芸能の星がいっぱいで、いつまでも若々しくいられる星があったり
水火の激突もあり、これも芸能人としてよいものだと思います。

今年は牽牛年なので名誉がとれるときに、なくなられたということは
いままでの生き方ももちろんですが、惜しまれながら。ですよね。


14才 デビューは 天中殺デビュー 玉中殺


天中殺デビューとはいっても

天中殺だから悪いということはなく、逆にすごく伸びる場合があり

玉はお母さんの意味もありますが、宿命には、お母さんの星が見当たらず

これがよい方向に伸びたものと思われます。

「日本のお母さん」ですから^^


お母さん星は、森光子さんにとって第一守護神です。

大運天中殺のときも、このお母さんの星がきています。


自分が持っていない星でも、後天運で巡ってくる星により、出来なかった事が出

来たりできるので、玉(母の星)がよい方向に向かったと思えます。



41才のときに主役に抜擢。その年をみたら、森光子さんのお誕生日にも
ちゃんと答えが出ていました。このときに脇役から主役になられたそうですが、
こういう年の運気だからこそ、もちろんそれまでの努力もおありでしょうが、脚光を浴びはじめたのかもですね。




90才で舞台をお休みになられて 最後の舞台のときは、納音の年になって
真逆の星がまわっていたので、舞台を続けたかったことでしょう。お辛かったでしょうね。


何度かお会いしたことがありますが、凜とされていて優しいイメージがありました^^

東京にきたばかりのころ 電車で偶然横になったこともありました。かっこいい革ジャン
をはおってて、かっこよかったです。


ps おばあちゃんになるまで芸能を続けたい私にとって人生見習いたい一人です。

ご冥福をお祈りいたします。