3.11のとき、すごく長くゆれたんだけど、
わたしはじぶんがつくったへなちょこの棚が崩れないように、必死に支えていました。
それまだ使ってるんですけどねプリンターとかPCとかで。
すぐに停電して、情報はいってこないし、やることもねえなって。
計算機に計算させるのが仕事だしねえ。
学生に、たぶん信号きえてるから、気を付けて帰んなよっていいのこして、かえりました。
いつもの海沿いの道をのんびりと。
ほんとに信号きえてたから、要所要所で止まりながら。
あんだけ大きい地震があったのに、津波って脳みそがなかった。
それから結局しばらく停電は続いて、
停電するとスーパーってあけられないのねレジがうごかなくて、
わーごはんどうしようって。
ちなガソリンスタンドも閉まりまして。
ってか、てまわしポンプでちょっとずつ入れてた。長蛇の列。
結局スーパーはタダで配ってくれました。感謝。
列にならんで。子供らも並んでくれて。
電気なくて、ご飯たけたのが私しかいなかったので、台所はわたしが。
洗濯は足でふんで。
水とガスがでたのが幸いだった。
まーお風呂は無理だったけど。
夜は早寝で。
学生が何人もボランティアに行ってくれた。感謝。
わたしは役にたちそうにないし、子供らのこともあるしで、行けなかったからな。
学生のひとりは流されたけど漁船にひろってもらった。感謝。
大学にひとりの犠牲者もなかったのは奇跡だ。
っていっても、故郷がまるっと流されたやつが研究室にいた。
もうお向かいもお隣も、全滅って。
たまたま外出してたお母さんだけがのこった。彼女はよびよせて。
そのうち電気がもどってきて、放送局も、
だんだん情報が。
原発がやばいぞってもそのとき。
で、津波のようすが。
なんだこれは。なにがおきたんだ?
tsunamiってカヌーにもボードにもメーカーあるけど、
あんたちほんとの津波しらんでしょ。
いや私も知らんかったです。
ってか津波がテレビにうつったのってあれが最初のケースじゃないか。
あんなに迅速に、なにもかも奪っていくのか。
日々、ぽぽぽぽーんとかへんな番組になってて。
まいっちゃったねあれは。でももっとひどい、
大川小のことが入ってきたのは、さらに後だったな。
なんで私じゃなくてあの子たちだったんだろう、
ってのは、きっと死ぬまで消えない。
