なぜならば だって because 何にせよ扱いにくきは私の心

今日の東京の空模様の複雑さは

ちょっと異様だった。

日中溜まりに溜まったストレスを

一気に吐き出すかのような

激しい雷雨が夕方に来たのだけれど、

小一時間で落ち着いて、その後

雲の合間に夕暮れ直前の青空も覗いた。



ところが夜遅く東の空を見ると、暗い雲の合間で

強い光を放ち続けている箇所がある。

それは見たこともない強い光の放出で

かなりの時間、おそらく20分以上

同じ場所から断続的に光が

放たれ続けていた。


カミナリだとは思うけれど、

音が全く聞こえず、ちょっと気味悪かった。

そのあとしばらくしてまた外を見たら

光は消えていて

雨が降った後の気配を感じた。

気温も、ぐっと下がったようだ。


台風が置いていった過剰な高温と湿気も

ひとまず収まったかな?




最近、

佐藤正午の小説を久しぶりに読み始めて

今日ようやく読み終えた。

タイトルは『ビコーズ』


because は、主人公の叔母が営むバーの店名。


微妙に不幸でめんどくさい生い立ちの因果か、

時々見えなくなる左目に困惑しながら

人生の迷路を彷徨する主人公が

ぐちゃぐちゃに混乱した人間関係の糸に

絡め取られそうになりながらも

前進するために必要なエネルギーの水源に

なんとか辿り着こうとジタバタする物語。


彼は10年前の、19歳の頃の過ちを慎重に封印してきた。

そしていま、とてつもない力を絞り出さなくてはいけない局面にある彼に

何の計らいか、なんとしても

その過去に「両目をしっかり開けて」向き合わないわけにいかない状況が降りかかる。

 



心の奥の箱に、閉じ込めたつもりの感情は、

いつも出口を求めながら成長を続けている。


感情はできるだけ早く外に出してあげることが基本、

とはいえ、時間を置いたことで

おもいがけず得られる恩恵もある。


ただし、大事な条件があるように思う。


ある出来事を痛みの核として共有する人間たちが皆、

そこに対して同じくらいの量の思いを持て余しながら、あくまで自分自身の問題としてとらえ、

右往左往して生きて来たということ。


これは佐藤正午の29歳の頃の作品。

登場人物がみんな優しくて、みんな不器用なところが、もどかしいんだけど、とても好き。