昨日は予想してたとはいえ

キャオさんの目が光を失ったことで

さすがに落ち込みました

まあ土壇場オオカミなので

自分のことについて

どうするかっていうのは思ったより

へこたれないんですが



どうも自分より小さい生き物の

そういった姿を見る方が堪えるので

昨日はベソかいてました(ベソってまた古い…)

まあ自分に対して素直になったな、と思います



経験する感情にも大きさがあって

日々色んなことで経験するその感情は

やりすごせるものもあるけど

堪えるものや

やりきれないものは

とことん感じて

涙で、怒りで、吐き出すことって

とても大事だなって思います

アンタ今ごろそれ分かったの?って

思われるかもしれないけど



わたしはそういった

大きな「負」の感情が襲ってきた時も

ほとんどやりすごしてしまったために

まあ、泣いていい時すらも

耐え抜いて「しまった」おかげで

以前は泣こうとしても涙が出てこないような

体になっちゃってたもので

さすがに愚痴くらいは言ってましたが



日本人って

特に色々制限かけてるな、と思います

「~しちゃいけない」って

耐えて頑張ってる姿を美しく感じるときもある

んでも

人が見ていないときくらい

その感情に素直になって

それがたとえ醜いものであっても

感じて

吐き出すことも必要だとわたしは思います



だって

いけないって思ったって

それ出てきちゃうんですもん

そんなときってありませんか?

抑えても抑えても

そこにばっかり感情が行く

人の脳や潜在意識の特性は

そうして

「しちゃいけない」と思い込むほど

それにフォーカスしてしまう

メカニズムになってるんです



何度も書いてますけど

わたしは以前

「強くいなければならない」という

思い込みがありました

弱いくせに、ハリネズミみたいに

いっぱいトゲをつけて誰かを攻撃して

自分を守ってる母の姿を見て

弱いの認めなさいよって

叫んだこともあった



でもこれが

自分も程度の差はあれ

母と同じで、弱いから強くいなくちゃ

弱いのを知られたくないから

どんなことが起こっても

動じないように

感情を感じてしまうとそれに溺れるから

感じる前に遮断して自分を守ってたんだって

病んでから気がつきました



だから「自分は弱い」

このことを認めるのがかなり苦しかったけど

これを知って理解することで

逆に心に筋力がつくようになってきたんです

もちろん

人にはそれぞれ「気づきの型」があると思うので

わたしのやったことは

ひとつの「パターン」だと思います







ってことで

昨日感じるだけ感じて

今日は意外とすっきりしてこれ書いてます

写真はキャオさんに食べてもらう療養食と薬

軍手してないとキズだらけになるもので

キャオさんにとっては

ちょっとイヤな時間ですから





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