15年ほど前のことである。
職場に続く県道は、片側一車線で遅い車があろうものならまず、遅刻確定である。
ただ、その日はそれが幸いしたのかもしれない。
近所の半農家のおじさんがそれぞれのママチャリのひしゃげたカゴを付き合わせて、何やら立ち話をしている。これは、15年経っても思うのだが、非常に珍しいことで、県道の車の流れが早いのと、通る車中の人は100で他人なので、歩いているだけで渋滞時は車中の人々の格好な見せ物となる。それがわかっているから、県道から下がった田んぼの畦道ならいざ知らず、絶対にそんなところで立ち話なんかしない。
しかも、その腕には見たことないほど可愛らしい子猫を抱いているとなれば、車間を取ってもその場にいたい。
この辺は捨て犬捨て猫が多いので、子猫なんか今更抱き上げるほどの興味を引かないはずなのに、その子は違った。 のだろうと思う。
この世の、白くて、清らかで、ふわふわしていて、丸くて、小さいものを全て凝縮したものがその腕の中にあった。
まさに、愛おしさの塊である。
うちの母が娘が生まれたばかりの娘をいつも、可愛い肉の塊と呼んでいたが、その流れでいけば、可愛い白い毛の塊である。
弱々しいそれは、小さく震えて二人の男性を交互に見つつ、ますます身を縮めている。ああ、可愛い。と、私以上にその男性は思って、相手が止めるのも聞かずに、飼うことを決意したようだ。それを苦笑いしながら見つめている。いや、ひょっとすると、己も欲しいのかもしれない
決意した彼は、そっと、かいなから子猫をママチャリの籠に乗せてやった。
その可愛い白い毛の塊は、この世でもっとも憂わしげな顔で辺を見渡した。
どこの世界の山のてっぺんにこれほど白い雪が積もっていることだろう。
誰をもってこの清らかさを描けるというのだろう。
この世のどんな悪人であっても、この子猫を前にしたら全ての罪を懺悔し、涙するだろう。
生まれたたての赤ん坊ですら貪欲に乳を求めて泣くのである。
子猫にはそれすらないように見えた。
その次の瞬間。その真白き子猫は全ての力を出すようにして、かごから飛び降りると、真っ直ぐに走って行った。歩道をひたすら東に向かって走っていった。
おじさん二人は驚いて慌てて後を追おうとしたが、すぐに1歩も踏み出さずに全てを悟っていた。
それほど、その子猫の走る姿は純潔であったからだ。真っ直ぐに日が昇る方へ、山の方へ一直線に走っていく。生まれて3ヶ月ほどの猫であったはずだ。きっと保護された時には母親と離れてだいぶ経っていたことだろう。
捨てられたのか、逸れたのか、いずれにしても、決して家猫のはずはない、その子猫は迷いなく、真っ直ぐに東に向かって歩道を走っていった。子猫の足取りはおぼつかないはずなのに、それさえも凌駕するほどの気高さがあった。
純烈 とは、こういうことを言うのだなと思う。
ママチャリのかごから逃れた瞬間、その子猫は、この世で唯一無二の存在に昇華したのだった。
子猫の行き先は、私の職場の方向だったので、これ幸いと後を追った。車道に飛びさなさないよう願いながら、猫に追走した。そうして私は職場の駐車場に着いてしまい、私は子猫の後ろ姿を見つめながら、私の場所に車を停め、急いでタイムカードを押して戻った頃には子猫の姿はなかった。
この山に兄弟で捨てられたのだろうか。根っからの野良で親がここらに住んでいるんだろうか。目的がなくば、あれほど躊躇なく走り切れるものではない。
飼い主がいるのだ。兄弟がいるのだ。
清らかに、気高く、己のあるべき場所、帰るべき場所に、あの繭玉のような子猫は真っ直ぐに向かったのだった。
その一週間後、最初に見かけた県道近くの車道で、血塗れの小さな猫の骸を見た。泥と血で汚れていたが、その毛色は白であった。