先月、クリスマス直前に息子が退院する際、病院玄関でパパの車を待っていたら、70代くらいのおじいさんが話しかけてくれた。
一言目は「大変だね。」だったけれど、その柔和な表情から、嫌な気は全く起こらず、私は労いの言葉として受け取った。
とっさに私から出てきた言葉は、「でも、この子のそばに一緒に居られるだけで幸せなんです。」だった。
じっと動かない息子の様子以前に、バギーに呼吸器、酸素、吸引器、栄養注入等、諸々の医療機器を積んだ姿は、見慣れない人からしたら、きっと「大変だ!」そのもの。
「点滴と、酸素吸ってるの?」と質問あり、その後も一言三言会話を交わし、別れ際には「お家に帰れて、お母さんのそばで過ごすことができて、本当によかったね。」となんとも穏やかな笑顔で見送ってくれた。
息子と一緒にいる際に、道行く見ず知らずの人に話しかけられたのは、おそらく初めての経験で、おかげで、とてもほかほかな心でクリスマスを迎えられた。
最近、パパとの会話の中で、こんな言葉が返ってきた。
「世の中、見た目も性格もいろんな特徴を持った人がいるように、人の感じ方、受け止め方も人それぞれ。
気の利いたことをサラッと言えちゃうヤツも中にはいるけど、『大変だね』『かわいそうだね』っていう発言も、その人なりの素直な感情表現。
それにいちいちこちらが傷ついたり、目くじらを立てて選別してしまったら、自分からバリアを作り、人は返って離れていってしまう。
少しずつ、この子の存在をまずは知ってもらえばいいんだよな。」と。
私も同じ気持ちで過ごしているつもりだが、この時のパパの言葉は思わずメモメモ。
普段は口数少なく、とても物静かなパパで、おしゃべりな私からしたら、もっと会話をしたい!と物足りなかったり、よくケンカもする日々なのだが(笑)、この言葉はしっとりと私の胸に響いた。
お家に帰ってきて一年半。
少しずつだが、息子の存在を知ってもらう機会は着実に増えている。
息子を取り巻く医療福祉関係者はもちろん、友人だったり、ご近所さんだったり、療育のおともだちだったり…。
この世に存在する一人として、息子を通じた世界やつながりが広がっていることが嬉しい。
あのおじいさんのように、私も誰かの心をぽっと温かくする存在だったり、パパの言葉のように、バリアのない心で人を出迎えたいと改めて思った
こんにちは