あの日から
もうすぐ一年。

直接被害にあったわけでも、
大切な人が被害にあったわけでもない。

けど、蚊帳の外にはいられない。
いたくない。

私の微々たる力も、0じゃないことに意味があると思いたい。

ただ一年の時を経て迎えるその日は、
祈りの日になってほしい!希望の光をほのかに感じられる日になってほしい!!

自然の脅威になす術もなく、
失われた多くの尊い命をそっと心に迎えたい。

絶望や悲しみを抱えながらも、
懸命に命を守っている人たちを讃え、
そっと応援したい。

災害を風化させないことってそういうことじゃないかなって、私は思う。

あの日の恐怖を思い出す映像はいらない。悲惨さを目の当たりにしたくない。

何年後、何十年後に必要になるときがくるから。

今は…ただ。



独りは嫌なくせに
人と会うと必ず怖くなる。

これで
この態度で
この振る舞いで
大丈夫かなーって

毎晩ベッドでは
今日の人間関係について
脳内反省会。。

どうすべきだったか。
どう思われたか。
どうしようもないことを考えて
止まらない。

だから
いつも怯えて、周りの顔色みて、
出来るだけ出来るだけ嫌われないように計算してしまう。

でも嫌われようにすることは
好きになってもらえることじゃない

無難な道でくぐりぬける私は
誰とも本当の意味で繋がれない

ありのままをさらせず、
自分の意見も言えないやつに
誰も懐は開かない。

わかってても
わかってるけど
何も変えられない自分が
憎らしい
相手の言ってほしいであろう言葉をさがす。

さがしてさがして
投げた言葉に

心はあるの?
本音はあるの?


結局、相手を傷付けないための、自分の価値をさげないための、お互いの存在を貶めないラインで、交される一種の儀式のような気がして、私はなんか苦手な空間がそこにできる。

相手の言葉を、人を疑いだしたらきりがない。

自分の言葉さえも、
疑ってしまうなんて・・
重症かな??

相手の顔色うかがいの言葉をかわして取り繕うぐらぃなら、ただだまって、そばに寄り添いたいな。受け入れたいな。

なんてきれいごとかな?


何がベストか考える優しさは、時に過保護な甘やかしにもなり、相手の為を思うと何がいいのかわからなくなってくる。答えはどこにもない。


モヤモヤした憤りだけ
ただそれだけ抱えながら、

頭の中は相手のコトで
いっぱいになる。。

あぁ。
無力だな・・