気づけばもう11月も終わりに差し掛かっていて、ブログも2週間ほど放置していた。特に忙しかったわけでもないのに何となく記事を更新する気になれず、写真も撮らず、文章も書かず、かといって何か別の事をしていたわけでもない。確かに観たはずなのに内容が思い出せない映画みたいな日々。茫漠な記憶だけが断片的に残っている。
このエッセイも書き始めたはいいが、これといって書きたい事がないので正直困っている。何か心を動かされる事がないと自分の事を書くのは難しい。こういう時に限って文章になりそうな過去の出来事も思い出せない。だったら後は捏造するしかない。というわけで、私ではない別の誰かの話を以下に書いておこうと思う。短い話を。

後5分待って雨が止まなかったらそのまま濡れて行こうと思った。
家を出る時にはすでに灰色の雲が空を覆っていた。それでも私は傘を持たずに出かけた。用を済ませたらすぐ家に帰るつもりだった。一時間くらいなら空も持ち堪えてくれるだろうと思っていたのに、帰り道、家まで後5分の所で雨が降り出した。
閑散とした通りにある、すでに閉店しているタバコ屋の軒先に、私は慌てて駆け込んだ。それほど強い雨ではなかったが、クリーニングから戻ってきたばかりのニットが濡れてしまうのが気になった。ついていない、と私は思った。
雨は降らないだろうと高を括って家を出た自分に非がある事は否めない。自業自得というやつだ。最近、何もかもが上手くいかない。思い通りにならない。後一歩何かが背中を押せば簡単に絶望してしまえそうだ。無意識に階段を踏み外すみたいに。
2台並んだ自動販売機の隣で、私はどれくらい雨音を聞いていただろう。アスファルトにはすでに水たまりができていて、無数に現れる波紋をただぼんやりと見つめていた。指先が冷えていく。いつまでもこうしているわけにはいかないのに。
仕方ない、濡れて帰ろうと思って視線を上げると、傘をさしてこちらに近づいてくる男性の姿が目に入った。私は少し動揺したものの、関心のない振りをしてまたアスファルトに視線を落とした。男性は自動販売機の前で立ち止まり、静かに傘をたたんだ。
ガコン、ガコンと缶が2本落ちる音がした。よくわからないが、私は彼が早くここから立ち去ってくれないかなと思った。彼がどこかへ行ってくれないと、自分もこの軒先から出ていけないような気がした。妙な種類の気まずさが私を包んでいた。
「これ、よかったらどうぞ」
自分の前に差し出された缶コーヒーに驚き、私は彼に視線を向けた。突然の事に戸惑っていると彼は言葉を続けた。
「ブラック買うつもりだったのに間違って微糖のコーヒー買っちゃって。遠慮しなくていいですよ。たかが缶コーヒー一本です」
「・・・あ、はい。ありがとうございます」
私は小さな声でそう言いながら缶コーヒーを受け取った。・・・上手く断れそうになかったのでそのまま流されたと言った方がいいかもしれない。
「傘、使います?」
「え?」
「もし、ここから動けなくて困ってるなら、この傘どうぞ。俺の家すぐそこなんで」
「あ、いえ、大丈夫です。もう少ししたら迎えが来ますから」
どうして咄嗟にそんな言葉が口から出たのだろう。彼は「そうですか。なら良かったです」と言って微笑み、傘をさして来た道を帰っていった。私は去っていく彼の後ろ姿を眺めながら、冷えた両手が缶コーヒーで暖められていくのを感じていた。
あぁ、神様はずるい。後一歩のところで小さな親切を与え、階段から落ちるのを踏み止まらせる。簡単には絶望させてくれないし、かと言って全てを覆すような救いはもたらさない。
プルトップを開け、温かい缶コーヒーに口をつける。ふわっと甘い香りがしてミルクとコーヒーの味が口に広がる。ふと、彼はブラックと微糖を間違えたのではなく、始めからコーヒーを2本買うつもりだったのではないかと思いつく。
ブラックコーヒーの黒いパッケージを他の缶コーヒーと間違えるなんてそうある事ではない。それが彼の親切心なのか、おせっかいなのかはわからない。もっと別の何かかもしれないし、やっぱり本当に間違えただけかもしれない。
それがどんなものであっても、別に構わない。私は缶コーヒーを受け取り、嘘を吐いて傘を断った。ただそれだけの事だ。コーヒーを飲み終えたら今度こそここを立ち去ろう。雨に降られても大した事はない。私は今更、そんな事に気がついた。
photo by KERO