
文字を書いていると心が落ち着く。午後8時、客の流れが止まった街角のケーキショップ、窓側の4人掛けの席。ガラス窓の向こうには看板のネオンが毒々しい色で光り、車のヘッドライトがノロノロと流れていく。テーブルの上には半分だけ片付けたチョコレートケーキ(一人で食べるのにはいささか大きい)とブラックコーヒーが乗っている。
一年前の手帳を開き、結局いつも使わずに終わるフリーページを小さな文字で埋めていく。使用するのは0.38mmの極細のボールペン。インクの色は青。普段使いの文房具は日本製に限る。いつも日本に帰った時にまとめ買いしてこちらへ持ってくる。目下の悩みは近所の店には日本製の文房具が置かれていない事だ。
20代の後半、自分のキャリアを棒に振った時からもう何もかもがどうでもよくなった。仕事を辞め、その時たまたま付き合っていた恋人と結婚をした。子供の頃から自分は結婚するようなタイプではないと思っていたのだが、思い描いた通りに人生を歩めるわけではないと思い知っていたので深くは考えなかった。
このまま平凡な主婦になるはずだった。しかし、結婚生活は数年で破綻した。私たち夫婦は子供に恵まれなかった。というか、子供を作る過程さえもままならないような夫婦関係だった。離婚の直接の原因は子供の事だと言えるが、それに付帯する理由は他にも色々あった。「塵も積もれば」というやつだろう。
離婚後、30歳をとうに越えていた私は自分の子供を持つ事を諦めた。それは夫との別れよりも苦い決断だった。元々、ものすごく子供が欲しかったわけではないが、その可能性がなくなるという現実は女としての私を押しつぶし、痛みを残した。血を流すような鋭い痛みではない。いつ終わるかもわからない鈍い痛みだった。
この国に来たのは死ぬためだったのだと思う。どこまで本気だったか今ではもう曖昧になっているが、日本を逃げ出し、今までとは全く違う環境に身を置くという目的を達成したらいつ死が訪れても構わないと思っていた。そこに深刻さや絶望感はあまりなかった。開き直り、とでも言えばいいのだろうか。とにかく悲観とは少し違っていた。
ボールペンを置き、少しパサついたチョコレートケーキを口に運ぶ。この国のケーキは甘すぎる。一つ食べれば半日分のカロリーを摂取できそうな味だ。いつも一緒に注文するコーヒーも量が多い。それでも、私はこの店のテーブル席で文章を書く時間が一番好きだ。それ以外の時間が全て不幸でも気にならなくなるぐらいに。
荒んだ生活をしようと思えばいくらでも出来るだろう。ドラッグに手を出し、自分の身体を売り、路頭に迷って野垂れ死にする可能性は私にも確かにあったのだ。自分がどうなってもいいと思っていたのだから。それなのに私は今も普通に生きている。いい歳をして貧乏暮らしではあるが、かろうじて人の道は外れていない。
心を壊し、いっそ狂ってしまった方が楽だったのかもしれない。しかし、私はそうならなかった。なれなかった。希望もなく、やりたい事さえないのに自ら死を選ぶ事が出来ない。そうなってしまえばいいと思いながら、一方では何もなかったように生活を続けている。失ったものを過去に閉じ込め、人知れずをそれを嘆きながら。
私は今でも世界の終わりを待ち焦がれ、希望と成功を謳うこの場所で生きている。それが幸か不幸か、今の私には知る由もない。
photo by dunhill