父方の祖母は敬虔なプロテスタントのクリスチャンで、満員電車に揺られ40分かけ都内の教会に亡くなる直前まで通い続けていた。

清掃の仕事を行い1人で質素な生活をしていた。その生活はイエスキリスト中心であった。


母親はそんな祖母の事を理由なく避けていたようだった。そのうち孫とも疎遠になり

最後に会ったのは高校の時だったかハッキリ覚えていないがそこから20年が経過した頃、祖母が亡くなったと連絡が入った。

遠方に住んでいたこともあったが、なぜか足が出向かずお葬式には出席しなかった。

理由は分からない。昔から長女の私を特に気にかけてくれていた優しいおばあちゃんだったのに。亡くなる前に私の名前を呼んでいたと妹から聞いた。

当時は苦しくて私の名前を呼んだのかと思っていたがそうではなかった。

イエスキリスト様のことを伝えたかったのだ。


最近になりイエスキリスト様を信じるようになり聖書を読むようになった。

人は生まれた時から全員罪人であり悔い改めが必要である事、イエスキリスト様が十字架にかかり人類の罪を代わりに受け救いのチャンスと永遠の命を与えてくださった事などが書いてあった。


私はキリスト教を大きく誤解していた。

その道には絶対に入らないと理由なく思っていたが、今になり祖母が正しかったのだと気づかされそれは大きな衝撃であった。

そして、サタンが家族を分裂させていた事にも聖書を読んで気づいた。

なぜなら父の兄夫婦や子供達は祖母や私達とずっと疎遠であり、私自身も祖母だけでなく、両親やきょうだいとも疎遠だからである。




また、祖母の祈りがなかったら真理には辿り着いてはいなかった。

なぜなら日本は大きな罪と言われる偶像や先祖崇拝、多神教などが盛んであり、霊的に覆いがかかり真理が入らないようになっているからである。



聖書のみことばを本当の意味で実行しているクリスチャンはいるのだろうか。しかし祖母はそれを実践していたと思う。


身内や周囲に迫害されながらもその信仰を守り続け、孤独な人生だと勝手に思っていたが、イエスキリスト様がそばにいたから孤独ではなかったし今はイエスキリスト様の元で永遠の命を得たのだと確信している。


何より、亡くなった後に自分が導かれた事が奇跡であり、祖母が1番望んでいた事だと思う。

批判的だった自分が聖書に導かれたことが本当に奇跡であり得ない事だったからだ。

そこにはイエスキリスト様の働きがあり、私自身の体験がイエスキリスト様が在るという証になっている。